1. Home0
  2. Novel1
  3. Irreglar Mind

Irreglar Mind

エピローグ

3月21日。午後1時半。

誰もいなくなった教室に、俺はまだいたりした。

今ごろ機中の人ってとこかな。

自分の席で頬杖ついて、そんなことを考える。

窓際の一番後ろの席。

ここが、俺の席。

高江と出会った場所。

ここにいきなり座っていたあいつと、ただびっくりしながら突っ立ってた俺。

それが出会いだった。

いつのまに、こんなに好きになってたんだろう。

だけど。

バイバイ、高江。

お幸せに。

脇の窓を開けて、空を見上げた。

この空のどこかを、あいつを乗せた飛行機が飛ぶんだな。

俺、がんばるよ。

お前のこと、忘れない。だけどそれって、前とは違うぜ。

ちゃんと前向きに生きていく。

そして、もし、もしも。

お前よりも好きになれる奴ってのが、現れたとしたら。

次こそはちゃんとぶつかってみよう。

もう二度と、自分の気持ちを偽ったりしないで。

嘘なんかつかないで……裏切ることなんて、しなくていいように。

だから……今だけ、泣いてもいいだろ?

お前にはもう見えないから、わからないから。

だから、ばれることなんてないもんな。

昨日我慢した分まで、涙を開放してやっても、だから、いいよな。

泣いてしまうのは、俺が弱いせいだけど。

お前のせいじゃ、ないんだけど……。

だけど……。

空を見上げて、俺は唇を噛んだ。

今流れてる涙は、悲しいから流れるわけじゃない。

高江が、恋しくて。

あいつの声が、姿が恋しくて涙が出る。

もう会えないってことが、急に現実味を帯びてきて。

会いたい。

会って、話をしたい。

皮肉でもいいから、声が聞きたい────。

「男が泣いていいのは、親の葬式だけだっていうけどな」

突然後ろから聞こえた声に、俺は焦って涙を拭った。

「俺は女だっ」

振りかえりつつ、条件反射で思わず叫んで。

そうしてしまってから、固まった。

今の、声……。

「いつもそれくらい素直ならいいのにな」

聞き覚えのある、魅力的な低音の。

恋しくて恋しくて、忘れられない、声────。

「高、江…………?」

すらりとした長身、端正な顔。

切りこむように真っ直ぐつきつけられる、視線。

こんなのって、一人しか、知らない。

「ひどい顔してるぞ。見られたくないってなら、ちゃんと扉くらい閉めとくんだな」

まるでいつもと変わらない調子で言いながら、彼はゆっくりと近づいてきた。

俺はただそれを呆然と見ているだけで。

頭がちゃんと動かない。

「なんで、ここにいるの……」

高江は今、飛行機に乗ってるはずだ。もうすぐフライトの時間なんだ。こんなところに、いるわけない……。

まさか、俺、夢を見てるなんて、そんなことないよな……?

「本物だ」

俺の頭の中、見透かしたみたいに、高江が言った。

笑みを含んだ声で。

「お前が泣くから、行けなかったんだ」

言いながら、俺の前で立ち止まって。

「俺は泣いてなんかないっ」

むきになって俺は否定する。

泣いてない、高江の前では。

だけど、彼はそんな俺に向かって、ふわりと笑いかけ……。

言ったんだ。

「おれは泣いたぞ」

え…………。

ぎょっとして目を瞠った俺に、高江は続ける。

その表情はとても優しくて、やっぱり夢なんじゃないかと思ってしまうほどだった。

「おれはお前に自分を理解してほしかった。お前と過ごした時間を偽物にしたくないと思っていた。最初は弓緒と重ねているだけだと思っていたが、そうじゃないことに気づいたんだ。自覚したのはいつだったかな……思わず焦って否定しようとしたりしたけど無理だった……なんでなんだかな」

俺は呆然とする以上に驚いて、そして焦った。

ちょっと待てよ、それって……。

それって、そういうことだと思っていいのか?

俺は思いこみが激しいぜ。うぬぼれてもいいのかよ?

信じられない言葉だった。高江が俺をそんな風に想ってくれてるなんて。

「だって……だけど、紗夜さんは?」

かすれた声で尋ねた俺への答えは。

「紗夜は大切だよ。だけどそれはお前が思っているようなものじゃない。紗夜にもはっきり言ってある……あいつは、そのことに気づいていたと言ってたよ。それでもいいからそばにいてほしいって。……おれは、お前にひきとめてもらえるとばかり、思っていたから、本気で焦った」

俺はもう、目をぱちくりさせるばかりだった。

嘘だろ……?

なんだよ、それ……なんだよそれなんだよそれ!

俺が一生懸命やったこと、全部余計なお世話だったってことか?

自分で自分の首締めてたって……そういうことかよ?

まったく……やんなるな。呆れちゃうよ、自分にさ。

「なんで、行くのやめたの」

びっくりしすぎてるんだかなんなんだか、俺の声はなんだか平坦で、感情がちゃんと表れなくなってるみたいだ。

棒読みみたいに尋ねた俺に、高江は言った。

「お前が、『お幸せに』って言ったから」

………………え?

「おれの幸せは、紗夜のところじゃない。お前のところにある。……おれは、瑠希と歩んでいくことを選びたい」

俺はもう、死んでもいいと思った。

瑠希。

高江が名前を呼んでくれた。

俺と歩んでいきたいって。

それを聞いた瞬間に、俺は今まで胸につかえていた重い痛みがすっと溶けてなくなったのを感じたんだ。
もういいんだ。

俺は自分を抑えなくていいんだ。

涙が出てきて、止まらなかった。

高江が、ずっとそばにいてくれる。

俺は、彼の隣りにいてもいいんだ。

「高江、お前、幸せになれると思う?」

尋ねた俺に、彼は笑ってくれた。

とびきりの笑顔。

俺が見たいと望んだ、彼の幸せの証。

「当然」

天才高江の言葉だぜ。

当然。そう言ったからには必ずそうなるよな。

間違わないって、そう言ったもんな。

俺も笑い返した。きっと俺も、一番の笑顔をしてるね。

ぽすんと高江の胸に顔をうずめて、俺たちの距離がまた縮まる。

高江、幸せになろう。

俺と、高江と、樹と、紗夜さんの……そして、弓緒さんの。

五人分の想いがみんな、嘘にならないように────。


そうして俺は、わたしに戻る。

幸せをくれる、腕の中で。

- fin -