ヴェイルの守護者
十三章
──見つけた。
口元に笑みが浮かぶのを、少年は自覚した。
見つけた、ここだ。間違いない。
森の、奥。隠された場所。他者の訪問を拒絶する要塞──彼らの、砦。
鬱蒼と茂る森の木々に紛れるように、それ、はあった。
通ずる道と呼べるものはなく、そこを知らぬ者がたどりつくのは非常な困難を極めるであろう場所。ぼろと、木と、泥と。そんなもので修飾された彼らの城を、オルフェは見下ろして、いる。
森。
一口にそう言っても、広範囲に及ぶそれをすべて調べて回るのはなかなか時間と体力のいることだ──そう、普通のやり方でもってすれば。
だが、そんな時間は……猶予は、彼にはなかった。また、それほどの時間をくれてやる意志もまるでなかった。
皆殺しだ。
つぶやいた言葉は、今もまだ変わらず心にある。
自分を出しぬき、傍らから少女を奪っていった者たちを許す気などさらさらない。受けた屈辱を、感じた怒りを、彼らには思い知らせてやらねばならない。
愚かな強奪者たちには、それ相応の償いを──痛みをもって知ってもらわねば。
彼らは間違いを犯した。致命的なそれを。
彼女を奪った、そのことではない。この自分を生かしておいたこと。
機会はあったのに。
なぜ、見逃した? 己の身を案じたのか。最初の時のように自分が窮地に立たされては困ると、だから?
ならば、彼女に手を出すこともまた、あきらめるべきだったのに。
「まったく……馬鹿な連中だ」
つぶやき、少年は降下した。城の真上に、ふわりと。彼の足元に足場はない。
煉瓦1つ分ほどの空間、その下に奴らの根城。
ゆるやかな風に全身を包まれ、オルフェは凍りつくような視線でそれを見下ろす。
──いる。
求める存在。ディナティア。
その命を守り、その願いを見届けてやってくれと、師から託された少女。
すでに馴染んだ彼女の気配を確かに感じた。足元から。
──生きている。
少し、安堵した。そう願いはしていたけれど、そう信じもしていたけれど──希望はたやすく裏切られるものだと、悲しいことながらそのこともまた、知っていたから。
ここに、いる。生きて。
ならばもう遠慮は必要ではない。ここにいる者に用も価値もない。求めるものは見つけた。
邪魔者は、排除あるのみ。
目を閉じ、軽い深呼吸。
両の手のひらが、かっと熱くなる──力が集う。肉眼で確認できる白い光がそこに宿り、球体の形を取った。
上昇。
風もないのに彼の体はわずかに高度を増し、そして勢いをつけるように急降下した。合わせるように彼は両手の光球を屋根にたたきつける──!
大きな岩でもぶちあたったかのような破壊音と共に、穴が開く。そこから彼は建物内部へと降り立った。とりまく、風。それは自然の風とは明らかに性質を違えている。
風──というよりは、力の具現。
剣呑に細められた真紅の瞳が冷たく周囲を見回した。いきなりのことに唖然としている男達がその双眸に映る──彼らが事態を認識して動くより早く、少年の手が一閃した。
走る閃光。白い光が細い筋を描いた。少年を中心とした半円を。
その同じ軌道を声が……悲鳴がたどる。そして、赤い飛沫が散る。
四人の男が倒れるのに要した時間、それは一瞬よりも短い刹那だった。
冷めた表情の少年の顔が動く──その瞳に捕らえられた男は、思わずひっと喉を引きつらせ、後ずさった。
「ば、化け物……」
掠れた声でそうつぶやいた瞬間、彼の額を光が貫いた。限界まで瞠目し、男は崩れ落ちる。
「口のきき方には気をつけた方がいいぞ」
感情の表れない声でオルフェは死者へ向け、いまさらながらの忠告をした。
緩慢な動きでまた別の方向を見やる──その視界から逃げるように、男達は一様に後退した。そしてそれが合図だったかのように背を向けて狭い戸口へ殺到した。その数およそ八人。オルフェが乗りこんだのは恐らく遊戯場とでもいうのか、暇つぶしに集まる部屋だったのだろう。半壊した玉突き台やら投げ出されたカードやら、転がった酒樽やら。憩いの場所を放棄し、彼らは自らの命の確保のため、必死な形相になっている。金のため、快楽のため、幾人となくその手を血に染めてきた屈強の男たちが。
「滑稽にすぎるね」
肩をすくめ、少年は呆れた声でそう評した。ついでのように、一人残っていた男の方へ手を向ける。
彼は焦点の合わない眼でぼんやりとそれを見ていた。その手にあるのは茶の紙袋。濁った目がすでに正気を失っていることを物語る。
「──お前はそのままのほうがいいかもな」
一瞬手を戻し……考え直した。
「それじゃ皆殺しにならないか」
くすり。
もらした笑みを見たものは──いない。唯一目撃者になり得た薬物中毒の男は、すでに両目を白い光に貫かれてこときれていた。
彼女は──下、か。
捕らえた気配を逃がさぬようにとどめつつ、逃げた男たちの後を追って戸口をくぐった。瞬間、両脇から振り下ろされる剣──!
だが、それが少年の体を傷つけることはなかった……かすることすら。
「無駄」
一言つぶやく間に、二人の男は少年の後ろに転がった。右手を失い、喉元を切り裂かれた……そんなお揃いの姿で。
一瞬遅れて、その脇に二本の腕がごとりと落ちる。剣を握り締めたまま。
「逃げても無駄。かかってきても無駄。お前たちは俺に勝てないし、逃げきれもしない。俺が皆殺すって決めたからな。少しでも楽を望むなら、おとなしくさっさと出てきた方がいいぞ? 怯える時間が短くてすむ」
細い木造の通路。左側の壁の向こうは別の部屋になっているようだ。通路の先にその入り口と下へ伸びる階段がある。
ゆるやかな動作でオルフェは進む。狩りを楽しむように。
「感謝してほしいな、本当はこんなことしなくても、お前たちなんて一瞬で消せるんだ。それをわざわざ一人ずつ相手してやってるんだから、光栄に思ってくれよ?」
どんっ!
左手の壁を光球が打ち抜いた。悲鳴が上がる。
「じらされるのは嫌いでね。覚悟が決まった奴から出ておいで?」
さっさと下に逃げればいいものを、なんでこんなところに逃げこむかな。
理解に苦しみつつ、オルフェは続けて三つ、光球をぶちこんだ。
どんっ、どんっ、どんっ!
壁の向こうが丸見えになる程度の横に細い穴が開く。のぞきこみ、オルフェはにっこりと笑った。
「見ぃつけた」
そこに残っていた三人の男たちの顔に恐怖が宿る。彼らの目に少年は、死神として映っていることだろう。
「や、やめ……」
最後まで言わせず光が走る。まず一人。
「恨むなら俺じゃなく、頭領を恨みなよ?」
ずるり。
逃げようと後ずさった男が足を滑らせて仰向けに転んだ。先に沈んだ男の額から流れ出した血の海に足を取られ。
べちゃり。床についた右手が朱に染まる。
「ひ、ひいっ」
大の男のものとは思えない悲鳴と上げ、彼は失禁した──オルフェはすこぶる嫌そうに顔をしかめる。
「……なっさけない」
残酷に評し、顔を背けつつ光球でふっ飛ばした。
残った一人の男は気丈にも腰の剣に手をかける。顔を背けたまま、オルフェは嬉しそうに微笑んだ。
「そう。そうでなくっちゃ」
切りかかってくる男。その太剣筋を緩慢に、けれど確実に避けながら階段へ近づいていく。
「お前は合格だよ」
だからごほうびをあげよう──囁きと共に、脇をすり抜ける。身を返し、男の背中を蹴り飛ばした……階段の下へ。叫びを放ちつつ落ちた男は、その最後に絶命の叫びを上げた。落ちた拍子に自らの剣を腹に刺し命を落とした男の、背中に突き出た刃を見下ろし、オルフェはくすりと笑う。
「ほら、ごほうびだ」
自らかかってくる者には飛び道具は使わないよ──待っている結末はどちらにしても同じだが。
「あと何人いるのかな? あんまり多いとレパートリーが切れちゃうから困るんだけどな」
そんなことをつぶやきつつ、少年は足取り軽く、階段を降り始めた──。
「ここで最後かな?」
冷たい石の扉に触れ、オルフェは小さく首をかしげた。
最上階から累々たる屍を超え、地下のこの扉に行きついた。これまでに逃がした者は一人とていない。すべて捕らえ、その命を断った。
残るはここだけだ。この扉の向こうに感じる気配は二人。
さすがというべきか当然というべきか、この巣窟の頭領たる男と……あと、一人。オルフェがここに乗りこんだ理由──奪われた少女。
人質にして立てこもったか──。
ありきたりな手段だが確かに有効ではあるな、などと……まるで他人事のように少年は評価した。
触れた扉。頑丈な扉はびくともしない。取っ手のひとつもないことから察するに、なにかの仕掛けで開くようになっているのだろう。
そう推測はできたが、鼻で笑い飛ばした。
「吹き飛んでしまえば意味はない」
そして。
どんっっっ!! !
文字通り、扉が吹き飛んだ。巻き起こる粉塵を払いのけることもせず、オルフェは開かれた扉の向こうを鋭く睨みつける。
扉のこちら側──階段を降り、ここに至るまでの道のりにあった地下牢。
その一つの扉が、強引にこじあけられていた。かすかに歪んだ鉄格子。
恐らくディナティアが自分でやったことだろう──女の細腕でよくがんばったと思う。けれどそれもむなしく、彼女はまた野盗の手の内に、ある。
世間知らずのお姫様が──求められたからと素直に金を差し出してしまうような彼女が、閉じ込められるをよしとせず、苦労を知らない腕で道を開いた。そうさせる力は、その源は恐らく一つ──彼女が求めてやまない存在の為。
命の重さなど、知らない。
この手が血で染まろうと、断末魔の叫びがこの耳にこだましようと、心が痛むことはない。
この身に宿る力を思うまま揮うことにためらいはなかった。それが誰かのためでなくとも……そう、理由などなくとも、ただ自分の心のままに。
邪魔。
だから消えてしまえ。
理由などそれだけで十分だ。目的など、いらない。
そうして今まで生きてきた──だが、今この瞬間、彼には力を揮う理由があった。
──尊いと。貴いと。
そう、思ったから。
……彼女を、助けたい。
思いに導かれるように、彼は足を踏み出した。
「やっと見つけた」
頭目の腕の中、鞘におさまったままの剣を握り締めこちらを見ている少女。ディナティア。
「すぐに終わるよ」
微笑みかける。
それをさえぎるかのように頭目が彼女を自らの背中へ隠した。彼の抜いた剣の切っ先がこちらを向く。
「よく来たな。仲間全員の仇──とらせてもらうぜ」
手下すべてを失い、己の身一つになった頭目の言葉にオルフェは唇の片端を持ち上げた。酷薄な笑みが刻まれる。
「一人で生きても寂しいだろう? すぐにお仲間とやらのところへ送ってあげるよ」
余裕綽々の少年へ、頭目は切りかかった。
「…………っのっ!! !」
鍛えこまれた肉体が俊敏な動きで少年へ迫る。それを紙一重でかわしながら、オルフェは小さく首を振った。
いい腕をしてる。これだけの腕があれば、他の道だって選べただろうに──と。そうであればこんなところで自分の手にかかって命を落とすような、悔しい思いをせずにすんだのに、と。
「まぁ、仕方ない……か。己の腕を生かすも殺すも自分次第……その、頭次第、だからな」
ひょい。
首を軽くのけぞらせたところを男の振るった剣が通りすぎていく。その動きをしっかりと捉えながらオルフェは左足を真上に蹴り上げた。頭目の右肘の関節に向けて正確に。
ごきっ!
鈍い音と共に関節部が不自然な曲がり方をする。
「ぐぅおっ……」
剣を取り落としうめく頭目の襟首を捕らえ、自らの方へ引き寄せた。戻した左足を軸に右膝を鳩尾へ蹴りこむ。前のめりになった相手の背中側からまたも鳩尾の裏側を組んだ両手の右肘部で強打した。
「か……はっ……」
脇の下にある男の口から鮮血がふきだす。肺がめちゃくちゃになったはずだな、とオルフェは冷静に考えた。
そのまま右手で頭目の喉元を捕らえた。肺をかばい、痛みの為に縮こまりながら自分に寄りかかってくるその体を片手でやすやすと引き剥がす。
倍はあるかと思われる体重を細い腕一つで支えて。
相手の顔を自分の正面に据え、オルフェはその真紅の双眸で頭目の目を射抜いた。
「言ったろう? 頭の悪い奴は長生きしない、と」
忠告を聞かないからこういうことになるんだ──哀れみすら含んだ囁きと共に。
少年の手の内でごきりと音がした。
双眸を見開いたまま、頭目の体は動かなくなる。
それを無造作に放り出し、オルフェは短いため息をついた。
まったく、余計な手間をかけさせてくれた。余計な力も使ってしまった。それでなくても調子はよくないのに──。
それでもまぁ、なんとかなったからよしとするか。
過ぎたことにはとらわれない、晴れやかな笑顔で振り返り──その表情がかたまった。
屈強な男たち数十人を相手に余裕を崩さず、汗の一つもかかずにそのすべてを片付けてしまった少年が、驚きを隠しえない表情で動きを止めた。
その背には冷や汗がつたっている。
ごくり。
乾ききり、飲みこむものなどなにもない喉を上下させた──その本当にぎりぎりのところに、剣の切っ先。
彼が奪回しに来た、再会を喜ぶべきはずの少女……ディナティアという名を持つその彼女が、彼女を守る細身の剣と共に鋭い眼差しを向けていたのだ──。