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君がここにいる奇跡

五章 夢幻想 其の一

「言っちゃったね、千津穂」

いつもと変わらぬ態度でリョウはそう言った。少し困ったような微笑みを浮かべて。

そしてその視線は千津穂を通り越し、その先にいる貴文を捕らえる。まっすぐに。

「───どういう、ことだ……?」

状況が把握できずに貴文はその視線見返し───けれど、その強さにいくらか負けた形で目を先に逸らしながら尋ねた。

逸らした視線の先……そこには一人の青年。見覚えのない人物だった。よく日焼けした引き締まった体躯の、恐らく二十歳前後の。漆黒の瞳───無表情の中、その視線だけが強くて。

その脇には志鶴が硬い表情を浮かべて立っている。

いつかのリョウの言葉、思い出しつつ、貴文は抑えた声で再び問い掛けた。

「理帆を、知ってるのか……?」

あの時と同じ言葉───それを繰り返すことは許さない、と瞳で告げ……視線を再びリョウに戻して。

視線の先の少年は、貴文の問いかけと眼差しを真っ向から受け止め…ちらり、と青年に目をやり、かすかにうなずく。

「うん……知ってるよ」

短いが確かな言葉。答え。

貴文は頭がくらりとするのを感じた───いや、それは気のせいだったかもしれない。

だが、めまいにも似た症状を感じたのは確かだった。

「……生きて………るのか……?」

声がかすれないよう、言葉として押し出すのが精一杯……。

よもやまさか…この台詞、口にすることがあろうとは思わなかった。

何度も思い描き、幾度も眠りの妨げとなった……それほどに深く心に根ざした、言葉……。

願いつつ、けれど否定し……それでも否定しきれず抑えてきた、言葉───。

実際に誰かに向けて問うことなど、ありようはずもないと、そう思ってきた。

けれどその言葉は今解き放たれ……そして。

「ああ、生きてるよ」

夢の中、何度も繰り返されその度何度も絶望をつきつけられた言葉を……名前も知らぬ青年が、口にした───。


「すべてを告げるべきだとの上層部の判断だ」

淡々とした口調で、彼───大滝桂人(おおたきけいと)と名乗った───が言った言葉に、真っ先に反応したのは志鶴だった。

「冗談でしょ?」

里中家のリビングに、五人は円を描くように座っている。貴文、千津穂、リョウ、桂人、志鶴といった順に。

隣りで声を上げ、納得行かないといった風情の少女に、貴文はいぶかしげな視線を送る。

理帆は生きている───そう告げた後、桂人は家の中に入ることを提案した。長い話になるから、と。

道端で話し合うことでないのは明白だったので、貴文も素直にそれに従ったわけだが…さて、いざ話をはじめましょう、ということになってのっけがこれでは、なにがなにやらわからない。

上層部?判断?……それよりもなによりも……すべて……?

一体なにが隠されているというのだろう。

いなくなった妹。死んだはずだった少女。

知らされるべき立場の自分に───一体、なにが。

「あんたはそれでいいの?上層部は理帆をこの世界に帰したがってる。何のかんのと理由をつけて帰したがってる。だけど理帆は選んだわ。理帆はあんたを選んだわ!なのにどうして平然とそんなことが言えるのよ!」

貴文にはまるで理解不可能な言葉、次々とたたきだし………。

なにを、言ってる……?

尋ねたい気持ち、ぐっとこらえ……言葉の端々から事の全容をみきわめようとしつつ……。

けれどあまりにも情報が不足していた。

今ここにいる五人。

そのつながりは、理帆。

なのに……本来、一番事情を知っているはずの、肉親の貴文が、一番真実から遠い場所にいる。そのことが肌で感じ取れるこの空気に、彼は苛立ち…怒りを覚えていた。否───怒り、ではないかもしれない。戸惑いと半信半疑な気持ちがいまだ交錯している。理帆が生きている、その事実をまだ全然事実として受け入れられていない。今現時点で分かったことと言えば、理帆は生きている、ただそれだけなのだから。

生きている───。

今、どこにいる?何をしてる?なぜいままで知らされなかった?なぜ彼女は帰って来ない?家族ではない見知らぬ人間が、なぜ彼女の安否を知っているのだ?彼らは何者なのか?千津穂は?彼らと理帆のつながりは?両親はこのことを知っているのだろうか?

───これは、夢ではないのか?

疑問が渦巻いている。整理できないほど多くのそれが。

それは見えない不安となり焦りとなって貴文を苛立たせていた。

『理帆はあんたを選んだわ!』

志鶴の言葉。……選んだとは、なんだ?

この、大滝桂人という男───理帆のいったいなんだというのか。

突然目の前に現れた、人間。

志鶴にしてもこの男にしても……素性すらも知らない。わかっているのは、里中千津穂と関わりがあることだけだ。リョウが……遼平が関わっているのは、まだなんとか納得できるとしても、だ。千津穂と血のつながりがある。弟といいう立場であるのだからして。

だが、そうするとそもそものキーマンは里中千津穂なのか?という結論に達する。彼女は……一体、誰、なのだ……?理穂とどういうつながりが……?

ぐるぐるする頭で貴文は必死に考える。ぐちゃぐちゃな…疑問だらけの頭の中を整理しようと試みる。

けれど……。

それをむなしい努力とあざ笑うかのように彼らの会話は進み…さらなる疑問を提示していくのだった。

「その"選択"は無効だ」

すっぱり切り捨てるかのような言い方で桂人はそう志鶴に答える。

せんたく………?

また、疑問が増えた。そう思いつつ、貴文は志鶴の答えを待つ。

だが、答えは…反応は、予想外のところから、出た。

「わたしは変えないわ」

凛とした声でそう断言したのは、千津穂だった。

「たとえ理帆ちゃんが前の"選択"を覆しても……わたしは変えないわ、絶対に」

言いきる彼女へ、桂人は冷たくすら聞こえる淡々とした口調で答える。

「それでも"選択"はやり直しだ。…そのために俺は"ここ"に来た」

「そんなの絶対認めないから……!」

桂人の言葉にかぶせるように、志鶴が強く言い放った。

「やり直しだなんて……そんなの、聞いたことないわよ……!?」

その言葉を受け……桂人はそこでちらりと、貴文を見た。

相変わらず無表情なまま……それでもその瞳は確かに貴文をとらえ───その視線に、貴文は思わず息を飲んだ。

なんらかの、予感を感じた、………そういう感覚を感じた気がした。

「……彼が知りすぎた、それが理由だ。お前達は彼と深く関わりすぎた」

視線が注がれていたのは恐らくほんの数瞬だったろう。だが、貴文には非常に長い時間に感じられた。ようやくそれから解放され、ほっと息をつきつつ…けれど、告げられた言葉に驚愕する。

───俺の、せい……?

一体彼らは何の話をしているのだろうか?彼らのどこにどう、自分が関係していくというのだろう。

言葉の向けられた先、志鶴が思わず、といった様子で唇を噛んだ。千津穂はうつむき……リョウは。

静かな表情で桂人を見返し……そして、静かな口調のまま。

「認めてもいいよ、俺は」

つぶやきを落とすように、そう言う。

瞬間、志鶴がはっと息を飲んだ。千津穂がびくっと肩をこわばらせた。

───なに……?

困惑をひたすら強くするだけの貴文の前……桂人が小さな溜息をつき、長い話をはじめる一言を口にした。

ひた、と視線、貴文にまっすぐに据え。

「信じるも信じないも、それはあんたの勝手だ───」