Irreglar Mind
第8章 偽装愛 - 1 -
高江と俺がつきあい出して、2ヶ月が経った。
要するに、樹と紗夜さんが婚約してから2ヶ月ってこと。
この2ヶ月の間、俺は一度も樹に会わなかった。
会いたくなかった……ってのもちょっとはあるけど。
俺は今、高江を好きになろうと努力していて、その効果もだいぶ出てきたんじゃないかな、なんて思ってる。
とはいえ、いまだに高江にどきどきしたりすることって、ないんだけどさ。
まぁ、もともと何もないところからはじめた俺たちだから、そんなもんなのかもしれないけど。
つきあっているとはいえ、今までと何が変わったってわけでもないしな。
とりあえず学校の帰りは一緒で、休みの日なんかもよく出かけたりする。それをデートと呼ぶんなら呼んでもいいけど……ゲームセンターだとかバッティングセンターだとか……っていうのが、とても色気ない。
大抵俺が一人ではしゃいで、高江は苦笑しつつ──時に呆れた顔で──見てるっていう感じなんだけど。
高江が隣りにいるのって、なんだかすごくほっとするんだ。それがあいつを好きになったってことなのかは……自分でもよくわからない。
ただ、ほっとする。安心する。そばにいてほしいって、思う。
そう思うようになって、俺としては樹への恋に一応の終止符は打てたのかな、なんて……そう思っていた頃。
「話したいことがある」
そんな電話がかかってきた。樹から。
話したいこと…………?
俺はびっくりしたけど、樹の声がいつになく落ち込んでいるみたいだったから、放っておけなくて、会うことにしたんだ。
俺はもちろん高江に言うつもりだったんだけど、樹が俺から連絡するっていうので任せておいた。
そしたら。
樹と約束した日、待ち合わせの場所に現れたのは、樹一人だったんだ。
高江を探して首をかしげる俺に、樹は言った。
「高江は来ない。……呼んでないんだ」
え?なんだよ、それ?
俺はびっくりして樹を見た。
だって、俺はてっきり……。
思わず理由を問い詰めようとして、だけどできなかった。
樹はひどく落ち込んだ顔をしていて、前に会った時より少しやせたみたいだった。
あの華やかな、活発な印象がすっかりなりをひそめてる。
いったいどうしたっていうんだろう。
そのことに驚いて、問い詰めるよりも先に言ってたんだ。
「樹、何があったんだ?」
何が彼をこんなに変えたんだろう。
ひどく打ちのめされていて、痛々しかった。
「……俺ね、婚約、やめたよ」
注意して聞いてなきゃ聞こえないほど小さな声で、樹が言った。
俺は目を瞠り、思わず息を飲んだ…………だって、うそだろ?
婚約解消だなんて……。
「紗夜が嫌がったんだ」
俺はますます驚いて、しばらく何も言えなかった。
だってそんなの、考えてもみなかった。
嫌がる?
紗夜さんが、樹を?
なんで?なんで?この間はあんなに幸せそうに笑っていたのに……?
「なんでっ?」
勢い込んで尋ねたら、樹はちょっと唇を噛み、うつむいて言った。
「高江のせいだ……」
悔しそうに、悲しそうに、胸が痛くなるほど切ない声で。
高江、の…………?
どくん、と心臓がすごく多きな音を立てた気がした。
まさか。
こんなときだけ俺の頭はフル回転で働いて、一つの可能性を導き出してしまっていた。
まさか……紗夜さんは、高江が───あいつの、ことが。
「まさか、……だろ」
思わず、つぶやいてた。
だって……まさか、だろ、本当に。
なんで今ごろなんだよ。
樹と婚約したんじゃなかったのかよ……俺の気持ちはどうなる?樹の気持ちはどうなる?
解消なんかするくらいなら、なんで最初に嫌だって言わないんだよ!
「留学するんだってさ、アメリカに。だから、俺とは結婚できないって」
留学?アメリカ?
なんだよ、それ。話が見えない。
高江は、どうするんだよ。
「高江のせいって、何?」
樹を傷つけたくなかったけど、傷つけるってわかってる質問を、俺はした。
せずにいられなかった。
だって、これじゃ俺の気持ちはまた行き場を失ってしまう。
俺の憶測じゃなく、ちゃんとした事実として、聞きたかった。
紗夜さんの、気持ちを。
「紗夜は……ずっと高江が好きだったって言ったんだ。俺はあくまでも弟なんだって。そうである以上、結婚は考えられないって……ちくしょう!」
樹の言葉が胸に痛かった。
紗夜さんと高江は、両想いだったんだ……!
「でも……なら、なんで留学なんて」
わざわざアメリカに行かなくても、高江は日本にいるのに。
納得できなくてそう聞いたら、樹は目を伏せるようにしながら答えた。
「少し頭を冷やしたいって。俺の気持ちを無視して高江のところへは行けない、なんて言ってさ……馬鹿にしてる……」
つぶやいた彼の言葉にやりきれなさと怒りと悔しさとがごちゃまぜになってにじみ出て、俺の胸を突いた。
助けてやりたい……樹を、なんとかしてやりたい。
だけど、わかってたんだ、俺には無理だって。俺じゃ力にはなってやれない。
紗夜さんじゃ、ないから。
だけど、……紗夜さん、ひどすぎるよ。
これじゃ、誰も幸せになんてなれない。
俺も、高江も、樹も……紗夜さん自身も。
そんなのって嫌だ。悲しすぎるじゃないか。
みんなで傷つけ合う事にすらなりかねないんだぜ?それって最悪だ。
「樹は、高江が……憎い?」
尋ねたとき、俺は真剣だった。おおまじめだった。
だから、樹の目をまっすぐに見ていた。
樹は一瞬びっくりしたように目を開いたけれど、すぐにかぶりを振った。
「……確かに、今会えと言われたら、辛い。だけどあいつは大切な友達だ。憎むことなんて、ない」
それを聞いて俺はほっとし、すごく嬉しかった。
よかった……!
樹と友達でいられて、よかったと思った。
樹が高江を好きなままで、それが嬉しかったんだ。
そんな彼を好きになった自分の想いも、誇らしく、思えた。
「樹……一つ、教えてやるよ」
突然何のためらいもなく俺の口が動いてそう言って、こう付け加えた。
「俺、お前のことが好きだよ」
樹は両の瞳を真ん丸くして俺を見……なにか複雑な表情を浮かべながら、もごもご礼を言った。
その様子がおかしくて、俺は笑い出しながら、
「変な顔するなよ。俺、女だぜ?樹に惚れたって、おかしかないだろ?」
自分でもびっくりするほど普通に、俺はそう言っていた。
樹は丸くした瞳をぱちぱちと瞬かせ、軽く首を振ってなんとも言えないような顔をした。
「うすうす、女なんじゃないかと思ったことはあったんだ……」
え、なんで?
俺はきょとんとし、そんな俺に樹は少し笑ってみせた。
「一番最初に会ったとき、俺、お前の首に触ったじゃん?あの時、すごく細い首だなって驚いて……おまけにお前、やたら倒れる、悲鳴上げるし……男にしては、軟弱だな……って……」
見た目で思い切りだましてるよな。
なんて……一言多いんだよ。
苦笑する俺に、樹は続けた。
「でも俺……お前は高江が好きなんだと思ってた」
なっ、なんでぇっ??
「いつも一緒にいたし、気が合ってるみたいだったし……それに高江が、お前にはすごく打ち解けてたから」
気が合ってる?
自分じゃ、そんなこと思ったことないんだけどな。
でも、へぇ……そっか、高江、俺に打ち解けてくれてたのか。……それって、なにか、嬉しい。
「お前が婚約した日に、俺たちつきあいはじめたんだ」
俺の言葉に樹は少し複雑な表情で、ふぅん、と言った。
「じゃあ、紗夜は……片想い、か」
それを聞いた瞬間、俺は迷っていた。
どう答えるべきか。
イエスか、ノーか。
イエスと言えば、紗夜さんは何も知らないままアメリカへ旅立ち、高江は俺のそばにいてくれる。もしかしたら樹はそんな彼女にもっとアタックして、よりを戻すかもしれない。
ノーと言えば。
高江も本当は紗夜さんが好きなんだって言えば、……きっと二人はくっつくよな。
で、樹は完全に失恋するんだ。
2ヶ月前の俺なら、ためらうことなくノーと答えてただろう。
紗夜さんと樹に別れてほしくて。
俺に……自分に希望を、残したくて。
でも……今の俺は迷ってる。
高江が、俺のそばからいなくなるのも嫌だ。
わがままだって思うけど、俺は二人のうちのどちらも……いなくなってほしくないんだ。
だけど……だから。
「俺には高江の気持ちはわからない」
そんな言葉で、俺は樹と自分を、ごまかした。