Irreglar Mind
第7章 封恋 - 4 -
「ショックか?」
樹の家からの帰り、俺と並んで歩いていた高江が不意にそう聞いた。
中原邸から俺の家までって、バスを使っても30分以上かかるんだけど、俺は歩いて帰りたくて、そうしたんだ。そうしたらなんでだか、高江もつきあってくれてさ。
「そりゃ、まぁ……な」
俺はちょっと笑って答えた。
ショックじゃない、なんて思わない。まぁ、当然なんだけどさ。
好きだなぁって自分の気持ちを再確認して盛り上がってるところに、あれだからな。
でも、結構平気だよな、まだ笑ってられるもん。
あいつにふられたときより、全然マシ。
やっぱりあれかな、時間かな。短い片想いだったからなぁ……。半月ぐらいだぜ。
樹に会って、友達になって、好きになって、ふられるまで。たった半月。
前のときは2年越しだったからな。
「でもあいつ、すごいよな。半年後18になったら、すぐ結婚するんだろ。やっていく自信、あんのかな」
そう、樹は4月の終わりに18の誕生日を迎えたらすぐ、紗夜さんと結婚するんだってさ。
高校生同士だぜ、まだ……。
「あいつらにはそれが一番自然なんだろ。樹は早く18になりたがってたからな、昔から」
高江の言葉に、俺はうなずいた。
そうだよな、十年以上だろ、樹の恋って。
早く大人になりたかったんだろうな。
十年間もずっと一つの恋だけを、一人の人だけを見つめてるのって、どんな感じなんだろう。
俺にはちょっと、わからないけど。
「高江、俺……あきらめられるかな」
樹はもう、完全に手の届かない人になった。
紗夜さんの手をとって支えてやってるあいつを見てたら、絶対無理だって思った。いや、わかったんだ。
樹の気持ちをこちらに向けることなんて、できるわけもなかった。
だから、俺にできるのは、あきらめることだけ。
これからも、いままでと同じように、いい「男友達」でいられるように。
でも、今の時点じゃ自信はないな、はっきり言って。
あいつより好きになれる奴を見つけられれば……なんて。
恋はしないなんて言ってたのは、どこの誰だよ、まったく。
「普通の友達を、やっていけるのかな」
頭一つ分高いところにある高江の顔を見上げながら、俺はそう言った。
彼は困ったような顔をしながら、ふと足を止め、俺もつられて立ち止まった。
「泣かれると辛い」
少々途方に暮れたふうに言われて、俺は目を丸くした。
「……誰が泣いてるって?」
言っとくけど、俺は泣いてなんかいないぜ。
「お前以外の誰がいるんだ?」
そう答えて高江は腕を伸ばし、俺の目の下に触れた。
指先がぬれてる……涙?
俺は慌てて目を拭った。手の甲につくのは、まぎれもなく涙だ。
でも、だって俺、泣いてないぜ。
涙を流した覚えなんて、全然ねーもん。
なのに、なんだよこれ、なんなんだよ!?
信じられなくて俺は呆然とした。
泣くつもりなんて全然ないのに、なのに涙が出て来るんだ。
止まらないんだよ。
「どうなってんだよ……」
つぶやいた俺に、高江が胸を貸してくれる。
高江じゃなきゃ、そのキザな仕草に、俺はきっと笑っちまっていただろう。だけど、それが似合う奴だから。
そんな優しさを、俺は今までに何度も、もらっているから。
俺は素直に、その好意を受けた。
「本気だったんだろ」
ちょっと呆れたふうに、彼が言った。
そうだよ、本気だった。
勝ち目がないって分かってても嫉妬しちまうくらい、本気だった。
思いつめるあまり、2回も倒れてさ。
全力で突っ走って、ぎりぎりのところでブレーキかけてたんだ。
暴走一歩手前、だった。
「高江、あきらめたいんだ。樹のことを、あきらめたい」
高江の胸に頭を押しつけたまま、俺はそう言った。
あきらめる以外、道はないんだ。
俺の気持ちの行き場は、もうないんだから。
胃がきりきりと痛んだ。
この痛みも、なくしてしまわなければいけない。
樹への想いは全部断ち切って、友達としてやっていくんだ。
ただの普通の友達として。
「この気持ちを……消してしまいたい!」
高江へたたきつけるように叫んで、俺はぎゅっと目を閉じた。
樹の笑顔が好きだった。
元気な彼が好きだった。
多分俺の恋は、一番最初に出会ったあの時から始まっていたんだ。
バスの中で出会った、美少女姿のあいつ。
まさかこんなに好きになるなんて思わなかった。
でも、それも今日で終わりだ。
俺はこの恋を封じてしまおう。
二度と起きてこないように、深く深く沈めてしまおう。
「高江……手伝ってほしい」
ぽろりとそんな言葉が口からもれていた。
何をどうしてほしいとか、そういう気持ちがあったわけじゃなく。
ただそばにいてほしいと思った。
俺が樹のことをきっぱり思いきれるように支えていてほしい、って。
よく考えたら高江だって俺と同じ気持ちのはずだったんだよな。
紗夜さんも婚約したんだから。
俺は自分のことしか頭になくて、このときにはそんなこと、ころっと忘れていたんだけれど。
「おれを、好きになれよ」
前にも言った言葉を、高江はまた繰り返した。
おの時俺は笑っちまったけど、今回は笑えなかった。
だって高江は真剣だったんだ。
目を見ればわかるよ、冗談を言ってるんじゃないって。
「そうすればおれはお前を助けてやれる。樹のことも忘れさせてやれるし、その前の奴のことも忘れさせてやれる。おれはお前を傷つけたりしないから」
そのとき俺は思ったんだ。
高江は優しいなって。
俺たちの間に恋愛感情はかけらもないのに、俺のためを思ってこう言ってくれるんだ。
高江は優しい。優しすぎるほどに。
こいつを好きになれたらいい……好きになりたい。
そうしたらきっと、すごく楽になれるだろうな。
苦しい思いなんてしなくてすむだろう。
今までの辛い気持ちを、きっと忘れられる。
そんな気がした。
高江の言葉だから、信じられると思った。
前に言ってた。俺は間違わないと。
樹に恋すると、見事に俺の気持ちの先を言い当てた彼を、俺は信じる。
「……そう、する……」
樹を忘れたい。
あいつを好きだっていうこの気持ちを消し去りたい。
この恋を封じて、全部忘れたい。
助けてくれるという高江の言葉を受け入れて、俺は思った。
高江を好きになりたいって。
こんな俺に手を差し伸べてくれる彼を、好きになろう!