Irreglar Mind
第3章 男と女の間に友情は成立するか - 2 -
しかもこの話、これで終わらなかったんだ。
夜になって、亜夜夏が俺を呼ぶ声がして、行ってみると電話だった。
それもなんと、高江からの電話だったんだ。
なんで番号知ってるんだ……?
よく考えたらクラス名簿なんてものがあるわけで、クラスが違ったってそんなものいくらでも手に入るし、全然不思議でもないんだけれど、そのときは昼間のことで高江に負い目らしきものがあったから、ああきっとこれも奴が天才だからなんだろうな、なんて変な感心をしたり、していた。
で、そんな呑気な俺の耳に、まず飛び込んできた言葉といったら。
「お前、約束やぶったな?」
げっ、ばれてるよぉ……。
番号知ってたことより、こっちの方がさらに謎だぜ。
しゃべったのは誰だ。……いや、もう一人の当事者だろうけどもさぁ。
「樹に会ったんだろ?」
受話器握ってあたふたする俺に、たたみかける高江。
あ、会いたくて会ったわけじゃないんだぜ?偶然だったんだよぉ……。
それに俺、別にあいつのこと、どうとかなんて、思ってないぜ。今だって。
こうやって高江としゃべってるほうがドキドキするくらいだ……怖すぎて。
「バスに乗ったら、いたんだよ。俺の友達の彼氏と一緒に。だから、しょうがなくて……」
思わず言い訳をしちまって、自分で自分が情けなかった。
なりゆきとはいえ、俺、樹としゃべったもん。
楽しいと思った。
友達になれたらいいな、とも思った。
高江と約束してたのに、そう思ったんだ。
それに、高江に隠すことしか考えなかった。約束破ってる自覚はあるのに、謝ろうとは、しなかったんだ。
情けないよな。
「ごめん、高江」
ずっしりと落ち込みながらそう言ったら、高江は受話器の向こうでため息をついたみたいだった。
「会うなって、言ったのに……」
責めてる口調じゃなかったけれど、胸がずきっとした。
約束したのに、それを守れなかった自分が悔しかった。
だから、もうこれからは……って思ったんだけれど、そう言おうとして、思い出したんだよな。
「高江、あいつ、うちの文化祭に来るって言ってたぜ」
言ったら、高江が息を飲む気配がして、直後、
「ばかやろう、やめさせろっ!」
耳元に響く、大音響。
ど、怒鳴るなよぉ、耳が痛いだろ……。
「なんでそんなことになった?まさかお前が誘ったわけじゃないだろうな?」
むっ。
「てめー、人のこと信用してないのか?」
言った途端に返される皮肉げな言葉。
「その信用をたった一日で裏切ったのは誰だ?」
うっ、それを言われると辛いんだよぉ……。
言い返せない俺に、高江は言った。
「今からでも遅くない。やめさせるべきだ。樹は呼ぶな」
……なんでそこまでこだわる?
俺が惚れなきゃ、問題ないんだろ?
そう思ったから、言ったんだ。
「高江、約束を守らなかったこと、悪いと思ってる。でも俺、樹のこと、避けたくないよ。いい友達になれると思うから。男と女でも、友達にはなれるはずだろ?」
だけど高江は納得しなくて、強い口調で答えた。
「人種によるんだ、そんなのは。ずっと一緒にいても恋愛感情に発展しないやつもいれば、必ず発展する奴もいる。樹は後者なんだ。だから、友達だなんて甘いこと考えてると、今に痛い目を見る」
人種って。なんでそんなのわかるんだよ。
大体、樹が、その恋愛感情を持っちまう人種かどうかなんて、友達になってみなきゃわからないじゃないか……。
高江の言葉に俺は納得できなくて、それで黙っていた。そうしたら彼がため息をつくのが聞こえて、それから、
「フェロモンという言葉はわかるか?」
いきなり質問してきた。
ふぇろもん?
ニュアンス的にはわかるけど、具体的に説明しろって言われたら、そりゃ無理だな。
「フェロモンというのは、動物の体内で生産され、対外へ分泌放出して、同種個体間に特有な行動や生理作用を引き起こす有機化合物だ。大抵はにおいや刺激として受容される。フェロモンにはいくつかの種類があって、その一つに性フェロモンというのがあるんだ。それは、動物の雄か雌のどちらからが分泌し、同種の異性を誘引するもので、昆虫でよく知られている。……ここまでは、わかったな?」
………………よくそれだけべらべらずらずらとわけのわからない言葉を並べられるよな。
なにか違うところに感心しつつ、俺は首をひねった。
要するに、アレだろ。色気みたいなもんだよな、それで異性を誘うってことだよな?
俺は勝手に超短縮して考えて、あいまいに高江に返事した。
それで返ってきた答えは、
「樹にはそのフェロモンがあるんだ」
ちょっと待てよ。
だって、フェロモンて、昆虫が使うやつだろ、人間と一緒にしていいのか?
「お前、おれの話聞いてたか?確かに昆虫の間でよく見られはするが、根本的にフェロモンは動物の分泌作用だ。ねずみにだって見られるし、人間も例外じゃない」
でも、昆虫だろ……。
それに俺、樹の隣りに座ったりもしたけど、別ににおいなんてしなかったぜ。
そう言うと、高江は一瞬黙り込んだ。
……お?俺の勝ち?
なんて思ったのは一瞬。
「まぁ、お前の頭に理解しろって方が無理なのかもな」
し、失礼なやつめ……。
黙りこんだのは、単に呆れてただけだったってわけ。
どーせ、俺は馬鹿ですよーだ。
だけどさ……俺に言わせれば、樹が女にもてるのは、そのフェロモンだとかっていうやつのせいじゃなくて、人柄とか性格とかってことじゃないのかなぁ?
天才って、変だよな。なんでも理屈こねなきゃ気がすまないんだから。
そう言ったら高江はちょっとむっとしたようになって、怒鳴った。
「おれはお前みたいにいいかげんじゃないだけだっ」
ほんっとに失礼なやつだよな……。
俺のどこが、いい加減だっていうんだ。
「とにかく、樹に近づくのは危険だ。おれはお前に、あんなふうになってほしくない……」
……あんなふう……?
ぽつりともれたその言葉は、本当に思わず口が滑った、って感じで、でもだからこそ、俺は気になった。あんな、って、何だよ、それ。
俺にはなってほしくない、って。
「高江、今の、なに?どいういうことだよ。樹となんか、関係あんのか?」
尋ねた俺に、高江はしばらく黙っていたけれど、やがてため息をついて、言った。
「そのうち、話す」
その声はひどく苦しげで、俺はすごく気になったんだけど、本人がそう言うんだもんな、仕方ない。
高江が話してくれる気になるまで、我慢して待とう。
そう思って、俺はその話題をそこで打ちきった。
そのことを、あとで悔やむことになるなんて、全然知らずに。……知らなかったから。
このときの俺には、今は高江をそっとしておいてやるのがいいて、思えたから。
「だけど、高江。あの約束はやっぱりなしにしよう。俺、樹と友達になりたいよ。俺さ、フェロモンなら、高江にだってあると思うぜ?だけど、これだけいろいろ話したりしてても、お前に惚れてないよ、俺。だから、樹だって平気だよ。そう思う。大体あいつ、俺のこと、女だって知らないんだぜ?」
そうだよ。だから、平気だ。
たとえ樹が無理だと言おうと、高江が否定しようと、俺は信じてるもん。
男と女の間にだって、友情は成立するって。
相手がいくらいい男でも、友達のままでいられる可能性は残されてるって。
ましてや樹は俺が男だと思ってる。
男と男のつきあいなら、何も問題ないじゃないか。
なぁ、そうだろ、高江。
俺はそうやって結局、樹が文化祭に来ることと、俺があいつと友達になるってこととを、高江に認めさせた。
やったね。
「今に絶対後悔するぞ。その時泣きついてきても、俺は知らんからな」
高江はまだぶつぶつ言ってたけど、さ。
でも決めたんだ、俺。
樹といい友達になる。
そうして高江に、あいつが間違ってたって、認めさせてやるんだ!