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あの日見た夢の続きを

約束 (in 750)2

レンスター王国の重臣の一人、アイナム伯がこの世を去ったのはキュアンが彼を見舞ってから一月と経たないうちのことだった。

そして今また、キュアンは再びアイナム伯の館を訪ねている。

すでに主人のいない館は、以前来た時よりも一層ひっそりと静まり返り、まるで人の気配がなかった。

……本当にここにいるのだろうか……。

玄関で呼ばわってみたもの応答はなし。しかも鍵がかかっていて中には入れない。

どうしたものだろうか、と思いつつ、庭へ回ってみた。

荒れ放題になっている、かと思いきや、なぜか綺麗に手入れされていた。誰かが世話をしている痕跡がある。人が世話をしてやらなければすぐ枯れてしまうはずの水想華が池のふちに綺麗に咲いていた。

「誰か────いないか?」

キュアンは声を張り上げた。

相変わらず不思議な家だ。アイナム伯がいなくなったとはいえ、この家は絶えたわけではない。

新しい当主が自ら管理できるようになるまで王家が預かり、のち当主に返す────そのためにキュアンは当主となる子供、アイナム伯の孫を迎えに来たのだ。

なのに、なぜ誰もいない?

知らせは届けたはずだった。先だってのような不意打ち訪問ではない。

しかし迎えの者はおらず、それどころか住人の気配も無く。

どうなっているのだ、とキュアンは眉をひそめる。

連れて来た部下たちも手分けして探してくれているが、まだ見つかったという報告も来ない。

本当に誰もいないのか……?

釈然としない思いを胸に、いっそ窓を割って入ってみるか、と考え始めたとき────。

がさり、と音がした。

…………上?

訝しげに空を見上げたキュアンは、そこに信じられないものを見、思わず目を見開いた。

少年が一人、地上3階より高いであろう場所でぐーすか寝ていたのである。

巨木のめぐらす枝に支えられ、腕の中に子猫を抱いて。

これがアイナム伯の孫か……?

年頃は恐らく一致するだろう。10歳と聞いていた。

気をつけてその子供をよくよく観察して見て、見覚えがあることに気づく。

……これは……。

アイナム伯を見舞ったあの日、高価なティーセットを床にぶちまけて平然としていたあの子であった。

「おい……?」

彼がそうなのかそうでないのかはさっさと聞いてみればわかることだ。

下働きのするような仕事を、大臣の孫ともあろう者がするはずもなかろうが。

違うなら違うで、館のことを尋ねるまでのこと。とにかくこの少年は唯一の手がかりだ。

気持ちよさげな寝息がここまで聞こえてきそうなほど安らかに眠っている少年へ向け、キュアンはもう一度声を投げる。今度の声は先ほどのものより格段に大きい。

「おい!」

反応するようにがさりと枝が揺れた────だが目を覚ましたのは少年ではなく、腕の中の子猫だった。

「にー」

かすかな鳴き声をあげ、子猫は呼んだ者を探すように首を回した。渋面になっているキュアンと目が合った瞬間、怯えたように首筋の毛を逆立てる。

「ふぎゃっ」

……恐らく子猫を驚かせたのはキュアンの眼光ではなく、彼らのいる場所の高さなのだろうが……ほんのの少しだけ傷ついたキュアンであったりした。

「いっ……なに、ミルフィ……痛いよ」

爪でも立てられたのだろうか、ほんの少し恨めしげな響きを宿した声をあげて少年が目を覚ます。

まだ半分以上寝ている顔で、子猫の頭をぐーりぐーりとなでた。

……呑気な……。

なぜか憮然としつつ、けれどその光景があまりに優しくてキュアンは声をかけられなかった。

「ミルフィ?なに怯えてるの。……ああ、僕は寝ちゃったのか…………────ってっ!!」

ぽややん、という表現が似合いそうな口調でのほほんとしゃべっていた少年の様子が一変した。自分を取り巻く環境、というものにようやく気づいたらしい。

「………………うううっわー…………」

恐る恐る、といったふうに下を見下ろした彼と目が合い、キュアンはどう反応すべきか一瞬迷った。そんな彼の前で……というより上で、驚いたように瞠目した少年は、だが次の瞬間、ざーっと擬音がたつような勢いで顔色を失った。

「こ……こ、ここって……」

…………なんだ?

眉根を寄せるキュアンに向かい、少年は情けない声を上げる。

「ぼ、僕ここで寝てたんですかぁ?」

ならばなんだというのか。

訳がわからないながらもうなずいた彼に返る、なんとも複雑げな表情。

「お前……もしや」

そんなところで猫を戯れつつぐーすか寝ておきながら。

人の声など無視しまくっておきながら。

「────高所恐怖症などと……」

「うわぁっ言わないでくださいっ今その事実を必死で忘れようとしてるんですからっっ!すぐに降りますっすぐに降りますからっ!」

なんだか先日ティーセットを割ったときより悲壮な声である。

そんなに怖いのなら登らなければいいものを……。

呆れてキュアンは声が出ない。

がさ、がさがさ、と頭上で枝が揺れる。降りてこようとしているらしい。

怯える猫にしがみつかれているらしく、痛みを訴える少年の声が終始聞こえていた。

「ちょっ……痛いってば、大丈夫だから。だいっ……いっ、いたたっ……ミルフィっ!」

……声は確かにしているのだが、ちっとも地上に近づいてこないな。

恐らく下を見るまいとがんばりながら降りてくるのでそうなっているのだろうが。

「……その猫……先におろしてはどうだ?」

見かねて口を出したキュアンに、

「どうやってですかぁ?」

という情けない声が振ってくる。

「放り投げろ」

にべもなくキュアンは即答した。

「そ、そんなひどいことっ」

ぎょっとしたように少年が葉陰から顔を出し、……高さにくらりとして手を滑らせる。

「うわあああぁっ」

必死に腕を伸ばしかろうじて細い枝につかまった────だが片腕だけで自分を支えるだけの力など、幼い少年にあるわけもない。

「……くっ」

ずるりとまたも滑りそうになる彼の首に、子猫が毛を逆立てつつしがみついている。だがその痛みに対する文句を言う余裕はなさそうだった。

猫を放り投げろとは言ったが……自分ごと落ちてくることはなかろうに。

ため息をついてキュアンは少年の下に行き、彼を見上げた。

「思いきって手を放せ。私が受け止めてやる」

「で、でも……」

「いいから早くしろ。でないと気が変わるぞ。……大地のクッションを味わいたいなら別だが」

苛立ち混じりの皮肉に少年は決意を固めたようである。

「い……行きます!」

ぎゅうっと目を閉じたまま、彼は枝から手を放した────。

どさぁっ。

予想以上の重さと痛みに声を上げかけるのをかろうじてこらえ、キュアンは少年の体を受け止めながら芝生に背中から倒れこむ。やはりいかに細くちっこく見えようと、あの高さから落ちてこられては結構な衝撃であった。

「…………っ!」

顔をしかめたキュアンの上で少年は身じろぎもしない。

ちゃんと受け止めたはずだが……どこか打ったりしたのだろうか?

心配になって肩を揺すってみると、びくりと強張った。失神しているわけではないらしい。

「大丈夫か?」

尋ねる声に彼はのろのろと体を起こした。

「すみません……情けないところをお見せしてしまって」

答えるその顔は蒼白である。どうやら本気で怖かったらしい。

「高いところが苦手なら、なんだってあんなところに登ったりしたんだ?」

少年はいまなお首に引っ付いている白い子猫を引き剥がし、腕の中に抱いた。

「この子が降りられなくなってしまって……助けに行って……なんだか眠ってしまったようで」

……だからどうしてそこで寝るのだ。

突っ込みたい気持ちはあえて抑えた。

「誰か他の者に頼めばいいだろう」

そう言うと、少年はやっと落ちつきを取り戻したような顔でにこりと笑った。

「誰もいませんから」

え?

怪訝そうな表情を浮かべるキュアンの前で少年は膝をつき、頭を垂れる。

「お迎えありがとうございます。わたしがアイナムの孫、フィンです」

先ほどまでの情けない姿はどこへやら、滅多にお目にかかれないような完璧な礼をしつつ、彼はそう名乗ったのだった。