あの日見た夢の続きを
約束 (in 750)3
ああやはりな、とキュアンは思った。
そういう気はしていた。だから驚いたのは別のことにだった。
「────屋敷の者たちはどうしたのだ?」
誰もいない……今、そう言わなかったか。
「帰しました」
なんでもないことのように少年────フィンはそう言う。
帰した?
意味がわからずキュアンは無言で彼に説明を求める。
それに対し、フィンは悪びれない様子であっけらかんとこう言ったのだった。
「僕一人にあんなに使用人は必要ないですし……城へ行くことになると聞いたので。ならば全員帰っていいよと言ったんですが」
なにかいけませんでしたか?
無邪気な笑顔に、キュアンは頭がくらくらする。
そんな話があっていいものだろうか?そんな考え方をするものにはついぞ会ったことなどなかった。
「…………それで、ずっと一人でいたのか?」
この広い館で、一人で……待っていたというのだろうか。
「一人じゃありません」
フィンはあっさりと首を横に振った。それにほっとしたのも束の間のこと────。
少年は白い子猫の頭を撫でて言ったのである。
「ミルフィがいてくれましたから」
………………。
そーれーはちょっと違うのではないか。
疲れた顔をしたキュアンにフィンは首をかしげた。
「やっぱり勝手に帰しちゃいけませんでしたか?」
心持ち心配そうに見えるが……ちょっと待てよ、とキュアンは思う。
もしかしてこの子は────。
「いや、それは構わないが。この家に関する決定権は、王家が預かると言っても結局お前にあるわけだから……帰る場所があるというのなら、帰しても問題はない」
無論、他の貴族にばれたら何を言われるか知れたものではないが……さて、どうごまかしたものか。
それを思って渋面になる若き王子の前で、フィンはにこにこと笑った。
「そうですか。よかった」
…………やはり。
一見ただの子供に見えるが……実際そうなのだが。この笑顔は曲者だな、と気がつく。
最初フィンを見たときに、利発そうな印象を受けた。それは間違いではなかった。
あの時も、そして今も、彼はにこにこと笑いながら駆け引きをしている。
礼儀をわきまえたおとなしい子供を演じている────多分、無意識のうちに。
それは早くに両親を失い、そしてまた今、彼の後見人であった祖父を失ったことに端を発しているのだろう……そう、簡単に予測はついたけれど。
やったもの勝ち、とばかりに使用人を帰してしまうなどという行動に出るあたり、実はかなり豪胆な性格をしているのかもしれない。そうして誰かにとがめられる前に、キュアンという味方までつけてしまったのだから。
問題はない、と答えてしまった以上、この先フィンにどれほどの非難が集まろうと彼をかばってやらねばならない。そこまで彼が計算したかどうかはともかく、それは確かなことだった。
「────荷物はまとめてあるのか?」
尋ねると少年はうなずいた。
「では持って来い。そろそろ行くぞ」
玄関のあたりから人のざわめきがしていた。恐らく部下たちが戻ってきたのだろう。
立ち上がり服を払うキュアンに続きながら、フィンは、もう行けます、と言った。
「え?」
まるきりの普段着に持ち物は抱えた猫一匹。
「荷物は……」
「これだけです」
レンスター有数の貴族の家の子供……それも当主とは思えぬ軽装であった。
「いいのか?」
「持っていくものなんてないんです。持ち物はみんなにあげましたから」
キュアンの背中を冷たい汗が流れた。
なんだと?
「だってみんなよくしてくれましたから。空し手(むなしで)で行かせるわけにも行きませんでしょう?だから……」
後、キュアンは知ることになる。
アイナム伯の先代の時点で、この家の財政が非常に苦しかったことを。
フィンはすべてを捨てることで、王家に渡す前にその帳尻をつけたのである。やりかたはどうあれ、10歳の子供とは思えぬ腕のふるいかたであった。
誰に教わったものやら……恐らくアイナム伯だろうな、とは思うのだが。
地味な人間ではあったが、だからといって彼に信念がなかったわけではない。王家に恥を晒すくらいなら、いっそすべてを失ってでも────その思いを託すだけの器量が孫にあったことが、彼にとって幸いだったと言えるだろう。
ともあれ。
レンスター有数のこの家は、その名だけはそのままに、歴史の表舞台から姿を消したのだ。
……そう、今は。
「行くか」
釈然としない思いが胸の内にあふれかえってはいたが、キュアンは平静を装った。
フィンの行為をなじらなかったのは、少年が見た目ほど無邪気な性格ではないと悟ったせいもあるが、大人気ない行為をしたくない、という矜持(きょうじ)によるところが大きかった。
黙って後ろをついてくる少年に、彼はふと一つの疑問を思い出す。
最初に会ったあの日、この少年が下働きの真似事などをしていたのはどういうわけなのだろう。
個人の趣味で茶を入れるというのならともかくも、客人に茶を出すのに家の人間が動くことはほとんど皆無だ。そういうところに格式やら威信やら、そういうものが表れるのだと────なぜかそういうことになっているらしいから。
あの日はまだこの家にも使用人はいた。数は少なかったが、確かにいたのをキュアンは知っている。だが実際茶を運んできたのはフィンだった。
その点を尋ねてみると、フィンはまたにっこりと笑った。
「あの日は友達が風邪で熱を出していたので、僕が代わりに」
……友達。
なんのためらいもなくその表現を使った少年を、やはり変わり者だとキュアンは思った。