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君がここにいる奇跡

四章 時を告げる鐘 其の一

「ちいちゃん?」

突然後ろからそう声をかけられて、千津穂はきょとんとした顔で振り向いた。

ショートカットの背の高い少女が、赤い傘をくるくる回しながら立っている。見覚えのある顔。

「……夜宵ちゃん……」

一瞬反応が遅れたのは、別に名前が出てこなかったとか、そんな理由でではない。かえって記憶に新しい人物だったから、驚いたのだ。

永谷夜宵(ながたにやよい)。小学校が同じで、その頃はすごく仲が良かったのだけれど、中学校が違ったのを境に、音沙汰なくなっていったっけ……。

それがなぜに記憶に新しいかというと、ここのところ彼女のことをよく思い出していたからだった。

別に小学校時代を懐かしんでいたわけじゃない。思い出していたのは、もっと別のこと。

まさかこんな場所で会うなんて予想だにしていなかったから驚いた。

こんな場所────病院の玄関で。

「うわー、久しぶりだね?元気だった?」

傘を閉じて夜宵は嬉しそうな顔をする。千津穂も微笑んだ。

「うん、元気。夜宵ちゃんは?」

こんなところでする会話じゃないな、と思いつつもそう返して。

……髪を、切ったんだな。

一番記憶に新しい彼女の髪は、肩まであった。あれからもう、ずいぶん経つけれど。

「見てのとーりよ。こないだ部活でこけてね、足捻挫したからここに通ってたんだけど、それも今日で終わりかなぁ」

連れだって病院内に入る。予約時間までしばらくある、と夜宵が言ったので喫茶コーナーで話すことにした。

喫茶コーナーといっても、別に喫茶店のような設備があるわけではない。売店の近くに何台か自動販売機があって、その横に古びたソファが置いてあるだけのものなのだが。

銘々好きな飲み物を手に、腰を落ちつける。

「ちいちゃん、高校どこ行ってんの?」

ブラックコーヒーを一口飲んで、夜宵が聞いた。別にどうということはない質問……長く会っていなかった友達なのだから、変な問いかけではない。だが、千津穂の心臓はどくんと跳ねる。

「……西陵、だよ」

夜宵は少し目を見開き、ややしてから、そっか、とつぶやいた。

「すごいなー、頭良かったもんねぇ、ちいちゃん。でもあそこ坂きついでしょ?」

続けられた言葉にほっとした。他愛のないもの、だったから。

それでも肩の力は抜けないけれど。

「きつい。でもわたし、バスだから。自転車の人はほんとにかわいそう」

平静を装って言う千津穂に、夜宵はくすくすと笑う。

「あたしはね、あの坂が嫌であそこやめたの」

「そうなの?」

素直に返したら、さらに肩を震わせた。

「……あはは、やーだ嘘よ、嘘。頭がついていかないから。行けるもんなら、行きたかったけどねー」

そして、ふと言葉を途切らせる。表情に、ためらいが浮かぶ。

「……夜宵ちゃん?」

促さない方がいいのかもしれない────そう思いつつ、けれど千津穂は夜宵にその先を促した。

彼女が言い出そうかどうしようか迷っている言葉を。

「────あいつ、どうしてるかなぁ」

応えるように夜宵はつぶやきを落とす。

「あいつ?」

素知らぬ顔で千津穂は聞き返した。

……何を、聞くつもりなのだろう。何を聞きたいのだろう、自分は。

漠然とした不安が胸をよぎったけれど、唇は勝手に言葉を紡ぎ出していた。

「ちょっとね、中学の時の同級生、西陵に行ったから思い出して。安西康之と樹川貴文っていって……って、知らないよね、何言ってんだかあたしは」

えへへ、と笑った彼女の顔に、ニ年前の顔がだぶった。

あの時は、泣きそうな顔をしていた……。

「知ってるよ」

千津穂の口はまたも勝手に動く。

なんだか今日の自分はおかしいな、と彼女は思った。夜宵と話している自分と、それを脇で傍観している自分、自分が二人いるみたいだ。

もう、全部終わったはずだった。

もういまさら何を聞いても何も変わらないことは納得済みだった。

なのになぜ────まだひっかかりが残るのだろう。何が気に入らないというのか。

わからない。わからないから……こんな話をしている。

本当なら敢えて避けて通るはずの、こんな話。

「え?」

夜宵が心底驚いた顔で千津穂を見た。

「安西くんも樹川くんも、同じクラスだよ」

淡々と千津穂は答える……いや、顔は笑っている。

「……へーえ、偶然。あいつら、まだつるんでる?」

「うん、仲いいよ」

「そっかぁ、元気なんだ」

そっかそっかぁ、と夜宵は繰り返した。なにかをかみ締めるように。

そんな彼女へ、千津穂はほんの少し覚悟を決めて切り出す。心のどこかの制止の声を振り切り。

「……夜宵ちゃん。わたし、中学の頃、夜宵ちゃん見たことあるよ。安西くんと樹川くんと一緒のところ」

脳裏によみがえる映像。

あの、雨の日の────。

「よく一緒に遊んでたからね」

なぜか苦笑する彼女へ、その続きを告げた。

「『康之がかわいそうだよ』って、夜宵ちゃん、泣いてた……」

まん丸になる、夜宵の瞳。

うーわー、と彼女は平坦なつぶやきをもらす。

「見たの、それ?うわー……よりによって……」

最初はわからなかった。女の子より先に、視線を奪われてしまったものがあったから。

握り締められた白い拳。

自分の心臓をつかまれたような、あの痛み。

震えていた、あの人……。

だから気付いたのはもっと後だった。彼女が誰か、あの時にはよくわかっていなかった。

けれど頭から離れなかったあの出来事を思い返すうち、あっと気付いたのだ。

あの女の子。

同じくらいに傷ついて、「彼」の代わりに殴りかかっていった少年を必死に止めようとしていたあの子。

あれは……。

「あの頃はいろいろあってね。……でもそっかぁ、ちいちゃんに見られてたとはねぇ」

反応に困っているらしい旧友に、千津穂は申し訳なく思う。

「ごめんね」

「ううん、悪くないよちいちゃんは」

夜宵は首を振るけれど。

でもごめんね、と。千津穂はもう一度心の中で謝った。

見てしまったのはしょうがないことだけれど、今わざわざ話題に引き出してきたのは故意だから。

あまり触れてはいけないことではないのかと、気付きながら持ち出してしまったから。

そしてまだそれを終わらせない自分がいる。だから。

「安西くん、樹川くんのことになるとむきになるよね……」

────里中、なんでそれ知ってんの?

そう言ったときの康之の厳しい顔を、千津穂は思い出す。

────樹川くん、妹さん亡くしてるよね。わたし、その頃に今の親に拾われたの。

口にした瞬間、言わなければよかったと後悔したのは、言うべきではなかったという自覚ももちろんあったけれど、それ以上に康之の眼力に竦んだせいも大きかった。

それまでにこにこしながら気さくに話していた人とはとても思えない、激しい目をしていた。

「……あいつねぇ、貴文に負い目あんのよ」

コーヒーの缶をゆっくり回してもてあそびながら、夜宵がつぶやいた。

「負い目?」

思いがけない言葉に千津穂は驚く。

夜宵は静かな声で先を続けた。

「貴文の妹死んだの、自分のせいでもあるって。貴文が苦しむの、それも自分のせいだって」

それは考えたことのないことだったから、千津穂は驚いた。

「そんなの……」

誰に責任があるわけでもない。

康之のせいなわけはなく、もちろん貴文のせいでも。

誰も恨んでない。そのことを千津穂は知っている。……けれど。

「そう思っちゃう奴なのよ。────貴文の妹の話、聞いても驚かないね?」

夜宵の言葉にはっとした千津穂は、彼女がなんでだかとっても優しい表情をしていることに少し驚いた。

「そうじゃないかと思った。だから話したんだ。……ちいちゃん、貴文好きなの?」

……え?

今度は千津穂の目がまん丸くなる番だった。

好き……?

誰が、誰を────?

いまだかつて意識したことのない言葉は、彼女の心に大きな波を立たせる。

「あれ、違ったかな。それじゃ今度の勘は外れだね」

屈託なく笑う夜宵に、千津穂は微笑みをこぼす。

「夜宵ちゃんは安西くんが好きだったんだよね?」

────そんなの康之がかわいそうだよ!

あの言葉に、千津穂は感動した。すごいな、と……少しうらやましくおもいながら、感動したのだ。

「そうよ。なぁに、ばればれってやつ?……駄目だったけどね」

さっぱりとした口調で言った夜宵に、だから千津穂は聞かずにいられない。

「どうして?」

たった一言でわかってしまった。彼女がどれだけ彼を好きか。

そして今話していて、それは今も変わらないことなのだと……そう思ったのに。

夜宵は苦笑を浮かべる。

「ずばり聞くわねー。まぁ要するにあれよね、康之ってばあたしより貴文の方が好きだったのよ」

あっさり出された結論に、そう言われたらそうかも、と千津穂は思わず納得した。

「だからちいちゃん、気をつけたほうがいいよ?最大のライバルは他のどの女の子より、康之だからね」

だからどうしてそう持っていくのかな?

千津穂は苦笑したけれど……同時に当惑していた。

なぜ、顔が赤くなるんだろう……?

その理由を、今はまだ、知らない。

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