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Irreglar Mind

第6章 樹の彼女 - 1 -

「お前、俺に隠し事してるだろ?」

その日の昼休み、高江は朝尋ねたことをもう一度繰り返した。今度は確認口調で。

「してないしてない」

俺はぷるぷると首を横に振ったけれど、それが高江という名の天才に通用するはずもなく、ぎろっと睨まれて、俺はあっさり降参してしまった。

それで言ったんだ、樹が好きだって。

高江にだけは打ち明けないつもりでいたのに、その目が怖かったもんだから、つい……。

うう、俺って軟弱。

「……そうか」

おや?

俺はてっきりもっと大きなリアクションがあるものと覚悟していたのに、やけにあっさりしてやがんのな。

「怒んないの?」

尋ねたら、高江はまっすぐな視線を俺に向けて、少し笑った。

「どうして怒るんだよ。恋愛は自由だろ?」

え、でもだって、お前やめろって言ったじゃん。

こんなにあっさり、自由だろ、なんて言われたら、俺の立場どうなるわけ?

俺、高江と約束したから、それを守りたかったから、一生懸命樹を避けようとしたり、意識しないでいようとしたり、したんだぜ?

理由は、それだけじゃないけど……。

「お前が惚れる前だったら、いくらでも止められたけどな。好きになっちまったって言うんなら、仕方ない。おれにお前の心まで縛る権利はないから」

場所は屋上、片手にはパン、もう片方の手には紙パックのコーヒー。

俺は唖然として高江を見、思わずぎゅうっと手に力を込めてしまって……高江に頭をはたかれた。

「ご、ごめん」

握り締めた紙パックからコーヒーが飛び出して、高江の着てたシャツにかかっちまったんだよ。

同じならパンを握りつぶせばよかった……って、そうじゃない。そうじゃなくて。

ハンカチで汚れた箇所を拭う高江を見ながら、俺は聞かずにいられない。

重ね重ね失礼だとは思いつつも、ここはやっぱり。

「高江、熱でもあるんじゃねぇ?」

だって信じられないよ、高江の口からあんな言葉が出るなんて。

心までは縛れない?

さんざん樹に惚れるなって強制してたくせに?

俺の言葉に、高江は皮肉げな笑みを浮かべると、視線を自分のシャツから俺に移した。

「だからコーヒーで冷まそうとしてくれたわけか?おれは礼を言うべきなのかな」

むっ、あれは不可抗力だよ、わざとやったわけじゃねーし、第一、謝ったじゃねーかっ!

むくれる俺の前で、奴は皮肉げな表情のまま、続けた。

「熱なんか、ないよ。きわめて冷静だ。お前、いったん自覚したら止めても無駄ってタイプだしな。とことんまで自分を追い詰める、一途で、危険な人種だ」

え、き、危険?

「周りが見えなくなるんだ。自分が恋してる相手に夢中になって、ブレーキがきかない。結果、自分だけの先回りと空回りで疲れてボロボロになる。底無し沼でおぼれてもがくようなもんだな」

ちょ、ちょっと待ってよ。

「それが、俺だっての?俺はそういう仕方でしか人を愛せないって?」

俺は呆然としながら高江に尋ねた。

これって、ひどいよ。まるで自分のことしか考えないで突っ走るって……そう言われたんだよな。

俺は高江に、そういう奴だって思われてるってことだよな。

それって……ショックだよ。悲しいよ。

「断言はしない。……だけど、樹が相手なら、そうなるだろうって話」

高江はそのきれいな顔に冷ややかな笑みを浮かべて答えた。

俺はちょっとぞくっとして、顔をこわばらせずにいられなかった。

この、表情……初めて会ったときと、同じだ。

あの時感じた怖さを、また高江から感じてる。

あの時以来、高江のそばにいて、そんなこと感じたことなかったのに……。最初の印象に反して、いつも穏やかな空気をまとっていたのに……。

なんで?

相手が、樹だから?

なんでだよ。なんで……。

「なんだよ、樹、樹って!あいつがなんだって言うんだよ。普通の男の子じゃないか……なんで、他の男だとよくて、樹は駄目なんだよ!俺がっ!好きなのはっ!樹なんだぞ……なんで、樹だけ……!」

樹には惚れるな、だとか。

樹と会うな、だとか。

挙句の果ては、危険、だと?

「ふざけんなよ、俺が誰を好きになろうと勝手だろ?なんで止めるんだよ!」

俺は、二度と恋愛なんかしない。

自分に対するその誓いは、きれいさっぱり頭から吹っ飛んでた。

なんでなんでなんでなんでなんで…………!

納得がいかなくて、その思いだけが頭の中をぐるぐるしてた。

「誰も止めてなんかいない。お前が樹を好きなら好きで、それは自由だと言ったぞ」

だけど、その後言ったじゃないか。俺の愛し方は周りを見てないって。

底無し沼でおぼれてるようなものだって……。

俺が人を好きになったところを、知りもしないくせに!

なのにそうやって人を脅しておいて、何が恋愛は自由だよっ!

俺は興奮のあまり涙が出てきてしまって、びっくりした。

なんだよ……このごろ涙腺緩みまくりじゃないか……。

「……脅したわけじゃない。おれは言ったはずだ、樹には彼女がいると。忘れてるようだから、忠告してやったんだ。でないとお前は絶対、突っ走る」

高江の言葉に俺はびくっとして息を飲んだ。

樹の、彼女────。

そうだ。確かに忘れてた。あいつには……樹には、彼女がいるってこと。

樹はその人のことがすごくすごく好きで、だからあいつに惚れたら傷つくって……高江は最初にそう言って、俺を止めたんだ。

あいつには、ちゃんと恋人がいるんだ。

心臓が、どくん、と大きな音を立てた。やけに耳に響いた。

「俺、は…………」

かすれた声が口から出て、勝手に言葉になる。

俺はぼろぼろ泣きながら、震える唇で言った。

「俺は、それでもあいつが好きだ」

心臓が痛い。

樹のことを考えて、その隣りに誰かがいるのを想像して、頭がくらくらした。

嫌だと、思った。

「俺は、認めない」

勝手に口が動いて、気がつけばそう口走っていた。

「あいつの女なんて、認めない」

言いながら、涙があふれて止まらなかった。

自分がすごく醜く思えて、そんな自分が嫌だった。

「だから言ったのに……」

呆れたようにため息をついて、高江が俺に向かって腕を伸ばす。

ぽんぽん、と。

子供をあやすみたいに、俺の頭、軽くたたいて。

「見たいか?」

何気ない口調でそう尋ねた……さらりと。

「見せて、やろうか?」