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ヴェイルの守護者

十章

「……大丈夫か?」

連れの顔をのぞきこみ、ディナティアは問うた。

それに対し、少年は青い顔で、けれどうなずく。

「何言ってんのさ、全然平気だよ」

とてもそうは見えない様子だが、よく回る口は健在であった。

「どこかで一休みしていこう。わたしも少し疲れたからな」

疲れた、というのは嘘だった。まだ出発して半刻ほどだ。その間、誰かに襲われるというようなこともなく、とても平穏な道のりを歩んできたのだ。疲れるわけもない。

けれど、オルフェの蒼白な顔色を見て、そのまま歩きつづける気になどなるわけも、やはりなかった。

だが少年は頑固に首を振る。

「平気だってば。休んでる暇なんかないだろ? 何言ってんの? ただでさえ時間押してるんだよ、無駄な休憩はさくさく切り捨てるべし! ほら行くよ、しゃきしゃき歩く!」

ディナティアの背中を押すようにして、オルフェはずかずか歩く。

「でも……」

わたしは病人です。

そんな顔をしているくせに。

「やっぱり休憩しよう、オルフェ」

押される背中を、足を突っ張って立ち止まりディナティアはきっぱりと言った。

「遅れはあとで取り戻せばいいんだし。休めるうちに休んでおかないと、またどんなことがあるともしれないし。大体無理をしたって、そんなに距離は稼げないし。だから……」

野盗と魔性の両方との対峙から、すでに三日が経過している。与えられたひと月のうちの約四分の一……それがもう経過してしまっていた。

オルフェが地図を破いてしまったから、自分たちのいる正確な場所はわからない──まぁ、街道を間違って記すような地図で何がわかったかなんて知れたものではないが──。

ただ、はっきりしているのは。

──まだ、遠い。

求める存在までの道のりは、まだまだ遠く険しい気が、していた。

「………………わかったよ」

不承不承、という様子でオルフェがうなずく。

このくらいの押しで負けるあたりが全然大丈夫じゃないじゃないか、とディナティアは思うわけなのだが。

そばの大木に根元に腰を下ろした。まだ明るいから、火は焚かない。

残り少ない食料も、口にしない。

ただ座るだけの、簡素な休憩。

「……水、いるか?」

ちゃぷん、と水筒を鳴らし尋ねるが、オルフェは首を横に振った。

「ごめん…………」

消え入るような謝罪の言葉。

彼は自分のこの失態に深く落ちこんでいるらしい。

もちろんディナティアに責める気などさらさらない。けれど、くすぶる苛立ちを否定することもできなかった。

──どこに。

どこにいるのだろう、彼女は。

その安否を思うとたまらなく不安になる。なんの力もない自分が歯がゆくて仕方ない。

……なんの、力も……。

ふと、思い出した。

三日前、起きた出来事を。

脇に置いた剣を手に取る。オフィルからもらった剣だ。美しい装飾の施された、細身の軽い剣。

オフィルが自分で鍛えたと言っていた。

一見したところ、別に変わった所はない。確かにあまり実戦向きではないが……自分のような体格の者が好んで使う種類の剣だ。

弟が生まれるまでディナティアは次期王位継承者だった。ヴェイルを担って立つ者だった。ゆえに、彼女にはありとあらゆる知識と技術がつめこまれている。

帝王学しかり兵法しかり。

剣術は得意だ。小さな頃から一番好きなことは剣術の稽古だった。

タリアはあまりいい顔をしなかったけれど。

だからディナティアの剣の腕は、実は相当なものである。披露する場がいまだないとはいえ。

剣を見る目だって、しっかりしている。……はずだ。

自信が揺らぎかけるのは、三日前に見たことのせいだ。

……たしか……白い、光が……。

この剣から発せられたような。

「守護の剣」と、そう聞いた。

聞きなれない言葉だ。少なくとも自分は知らない。

なんとなく聞きそびれて今日まで来てしまったけれど、これはなんなのだろう?

魔性の力を跳ね返した白い光。

あわやというところで命を救われた。

──でなければ、いまごろわたしはすでに存在していなかったかもしれない……。

不思議な、剣。

「オル……」

問おうとして、その寝息に気づいた。

眠ってしまっている。

よほど辛かったのだろう。いつからかは知らないが……今朝起きた時にはすでに顔面蒼白だった。

昨日から辛かったのだろうか?

全然気づいてやれなかった。

どうやら頭が痛いのが主な原因らしい。少し無茶をしすぎたかな、と彼は笑って言ったけれど……三日前の立ちまわりを考えればそれもうなずける。

自分は見ているだけだったから、体力的にはまるで平気なのだが。

荷物から外套を出してかけてやった。

ゆっくり休むといい。

穏やかな気持ちでそう願う。

大木の根元で体を丸めるオルフェの脇で木によりかかり、ディナティアは遠くへ思いを馳せた。

どこかできっと待っているはずの、彼女へ。

だから気づかなかった。

近づきつつある、草を踏む音には──。


呼ぶ声を、聞いた気がした。

いまだ夢から覚めやらぬ意識のまま、オルフェはぼんやりと目を開ける。

……呼んだのは、誰?

幸せな夢を見ていた。ありえるはずのない、夢を。

まだその幸せをひきずっているのだろうか?

事態がうまく飲みこめない。

「──ディナ……?」

小さく、呼んだ。

そばにいるはずの少女の名前。

お姫様のくせにちっともお姫様らしくない……自分が知っている上層階級の人間とは全然違う空気を纏った少女を。

そもそもいつの間に寝てしまったのだろう?

日がすでに暮れかけている。休憩に入ったのが昼もまだ遠い朝の早くだったから……約一日をつぶしたことになる。

起こせばいいものを、お人よしの彼女のことだからずっと黙って座っていたのだろう。

眠りたいだけ眠ればいい……時間がないのは百も承知で、そんなことを考えたに違いない。

呼びかけに応じる声はなかった。

自分以外の気配も周囲には感じられなかった。

そろそろ火を焚く時間だから、燃やすものでも探しに行ったかな……?

そう考えて、それは不必要な行動であることに気づいた。

季節は冬前。探しに行くまでもなく、すこぶる燃えやすそうな獲物がそこいら中にごろごろしている。

では、どこに行った……?

水……はまだたっぷりあったはずだ。昨日くんだばかりだし。

離れる理由なんか思い当たらない。

けれど彼女がいない。それは疑いようのない事実。

荷物は置いたまま。ただ彼女の剣だけが彼女と共に消えていた。

ぼんやりした頭に急速に思考力が集い始める。

どこに、行った……?

かけられていた外套をはぎとり、周囲を見まわした。あたりの気配を探る。

どんな気配だってもらさぬように、集中した。

自分は他の人間とは違う。こうやって集中すれば、かなり広範囲の気配を感じ取れる。

──けれど。

「いない……?」

つぶやきは知らず途方に暮れたものになる。

自分の放った探査網に彼女の気配がひっかかることはなかった。

「馬鹿な」

自らを叱咤し、もう一度挑戦。寝起きで頭がぼけているのだ。そうとしか考えられない。でなければディナティアがいない、その事実に説明のつけようもないではないか。

彼女が黙って消えるわけもないのだから。

だが、そう言い聞かせてさらに集中してみたが、結果は変わらなかった。

自分の意識の届く範囲内に彼女を見出せない。

それはつまり、恐らくこの先にまで続くこの森一帯、そのどこにも彼女がいないということだ。

女の足で抜けるのに恐らく二日を要するこの森のどこにも。

どこに消えた……?

考えられる可能性はただ一つ。

彼女が自力で姿を消すのが無理ならば──何者かが連れ去ったのだ。

自分が間抜けな寝姿をさらしている間に。

誰が、どこに?

──見当ならば、ついた。

あたりに魔性の気配は残っていない。魔性が関与してディナティアを連れ去ったのならば、その残り香とも言うべき気配が多少なりと残っているはず。

けれどそれがないということは、それが人の手によってのみもたらされたことを示す。

あいつらだ……。

奴らがそうであるならば、自分には手を出さなかった理由も説明がつく。

「馬鹿にして……」

彼女だけならばどうとでもなると思ったか?

なめてもらっては困る。

一人残されておとなしく途方に暮れるような奴だと思ったか? 俺が?

オルフェは口元に酷薄な笑みを刻んだ。

体調はすこぶる悪い。原因はわかっているのだが。

見つけたら手加減なんかできないが……そんなのは知ったことじゃないな。

真紅の瞳を剣呑に細め、彼はつぶやいた。

「──皆殺しだ」