1. Home0
  2. Novel1
  3. ヴェイルの守護者

ヴェイルの守護者

一章

「父上っ!」

どかどかと足音高く部屋に踏み込んで、ディナティアは大声を上げた。正面の椅子に腰をおろした中年の男性が、その恰幅のいい体を起こして立ちあがる。

「何事だ、ディナティア。わしの私室に許可なく立ち入ることは、以前から禁じておったであろう。用件があれば謁見の間で聞く。いかに親子といえど、人の上に立つ者がそれでは、国民に示しがつかぬであろう」

重々しくそう言った父に、ディナティアはいらいらしたように首を横に振ってため息をついた。

今目の前にいるのはヴェイル王国の第十七代国王ナスタシア三世である。ヴェイル王国は古くから続く名家を王家に戴く古豪の国だ。伝統やしきたりが何よりも物を言い、ヴェイル王家の家訓において常に礼儀が一番に来ることは、その王女であるディナティアであるからしてよく知っている。だが、緊急の事態、というものがあるのだ。手順なんぞ全部すっとばしてでも至急に会わなければならないようなことが。

「臨機応変という言葉を知らなければ人の上に立つことなどできません、父上。用件をお聞きください」

食い下がる彼女にナスタシア三世も表情を和らげる。あえて逆らうからには、それなりの事情があるのであろう。そう納得したのだろうか。

「申してみよ」

そう言われて、ディナティアはほっとしたように肩の力を抜いた。

「わたしをガルス海へ行かせてください。あそこには魔物の巣があると聞きます。わたしは……奴らに聞きたいことがある」

国の北方の国境にあたる地名をあげてそう願い出た彼女に、ナスタシア三世はぎょっとして目を見開く。

「ガルス海……と?」

うめくようにそう尋ねて、彼はディナティアを睨みつけた。

「ガルス海と言ったか? 何を考えておるのだ、馬鹿者!」

大声で怒鳴られて少女の体がびくりとする。だが彼女は引き下がらなかった。

もとより、このくらいは覚悟している。

でなくてこの父に会いに来たりなどするものか。

「大切なことなのです! わたしはどうしても行かねば。行って確かめねばならないことが、あるのです……!」

強い視線を向けて、ディナティアは力説した。自分が本気であることを、父に分かってもらうために。

「魔物に何の話があるというのだ。第一、子供の行くところではない。お前はあの地の危険さも、魔物が何たるかも……自分が何を口にしているかすらわかっておらぬ」

「わたしはもう子供ではありません。それがお認めいただけないとしても、子供には子供の、大事なことがございます。本気でなくて口にできるようなことではないこと、十分に承知した上でのお願いでございます。父上にご迷惑はおかけいたしません。ただ、是、と答えてくださればそれだけで……」

「ならんと言っておるのだ! そなたはヴェイル王家の嫡出子にて、初子なのだぞ!?」

王女としての立場を、なんだと思っているのだ──。

顔を怒りに染めて王がそう言った瞬間、ディナティアの顔が凍りついた。

「また、ですか、父上……」

いい加減聞き飽きた台詞だ。

お前は姫君としての自覚が足らん、だの。

王位継承者としての誇りはないのか、だの。

だからなんだと言うのだ。今の自分はもう王位継承者でもなんでもないというのに、「姫君」だとか「初子」だとかいう言葉はいまだについてくる。

「嫡子」という言葉は「嫡出子」という言葉に変わった、というのに、だ。

今年の初めに生まれた、十五も年の離れた弟……カイラル。

彼が生まれる前ならば、まだ我慢できた。自分は王位継承者で、故にその責任を果たさなければならず、それが自分の務めだ、と思っていたから。

だから必要な学問だって修めたし、武術だって一通りは身に備えた。たとえ鬼姫と呼ばれようと、戦で先陣を切ることがなくても、自分を守れるように鍛えてきた。

父王と義母の期待に応えようと、それなりに努力していたのだ。そうすることで女であることを少しでも補えるなら、そう思って。

なのに──。

カイラルが生まれた途端にお払い箱だ。男であるというだけで、弟は何もかも自分から奪った。彼に罪はないのだと分かっていても、今や城の穀潰しの代名詞と成り果てている身としては、やはり多少恨んでしまったところで仕方はなかろう。

これから先、国が自分に望むのは、強豪国との同盟条件として政略結婚の道具となることだけだ、ということは分かっている。

だが、そのためだけに「嫡出子」だの「初子」だのという言葉に縛られるのはたまったものではないのだ。

「──タリアが、いなくなりました」

ナスタシア三世の眉が訝しげにひそめられた。脂ぎった肉の奥で、ぎらぎらと光を放つ瞳がじっとディナティアを凝視する。彼女は父のこの視線に晒されるたびに心の底がぎゅっと引き絞られるような感覚を味わう。父は、苦手だ。

「わたしは一人の人間として申し上げたい。タリアが……わたしの女官で友人でもあった彼女が、昨夜魔物に連れ去られたのでございます。わたしは彼女を助けに行きたい……!」

必死、だった。

タリアという存在はそれだけ大切なものなのだ。母は自分を生んですぐに亡くなり、父は自分を道具としてしか見てくれず、その愛情はすべてカイラルに注がれている今、ディナティアに親愛の情を示してくれるただ一人の人だったのだから。

たった一人の、かけがえのない人。

「魔物の仕業となぜわかる? たとえそうだとしても、だ。いまさら助けに行ったところでなんになる? その娘の死に様でも見たいと申すのか? 所詮、そなた一人の力ではどうにもならんことだ。あきらめるのだな」

けれども。ナスタシア三世は冷たい口調でそう言ったのである。

愕然としてディナティアは父王を見つめた。

あきらめろ、だと?

とても王者の言葉とは思えない。一人の友人の命すら救えぬくせに、国民全体を守りきることなどできるのか?

それが人の上に立つ者の誇りなのか?

近頃魔物による被害が急激に増えている。下級魔性である小悪魔族や悪魔族がやたらと出没しては人を襲い、さらには妖魔族が若い娘をさらっていくのだ。

タリアは恐らく上級魔性である妖魔の手におちたに違いない。小悪魔や悪魔が相手であればその場で食い殺されていただろうから。または、叫び声をあげて助けを求めることができたはず……そうなら自分は彼女を救ってやることができたのに。

たった一枚の壁の向こうで、タリアは消えてしまった。跡形もなく。

彼女が自分の意志で消えたわけはなかった。理由がない。もし何か心に溜め込んだものがあるとしても、自分に一言もなく去ってしまうことなど、ありえない。その絆は、誰よりも自分が知っている。

妖魔にさらわれた娘たちがどうなるのかは知らない。ただ分かっているのは、帰ってきた者が一人もいない、その事実だけ。

生きて帰ってくることを期待できない状況に置かれているのかもしれない……だから、それならば迎えに行こう。そう思ったのだ。

「……どうあっても、お聞き入れいただけませんか?」

最後の問いかけ。

「くどい」

返された父の言葉に、ディナティアははっきりと心を決めた。

「そうですか。わかりました」

拍子抜けするほどあっさりと、彼女は引き下がった……引き下がったように、見えた。

けれど、この時ディナティアはすでにある決心を固めていたのだ……。


日が落ちるのを待って、ディナティアは部屋を抜け出した。窓から。

誰にも見つからないように、城から消えてしまうつもりだった。行かせぬというのなら、父王の許可などいらない。父が枷を解いてくれぬというのなら、自力で壊すまでのことだ。

わずかな足がかりを頼りに、彼女は少しずつ体を移動させる。

まずは、武器庫。まさか丸腰で乗り込むわけにもいくまい。

以前なら帯剣したまま城内を歩いていても誰もとがめたりしなかった。なのに、カイラルが生まれた途端、剣を手にすることさえ嫌がるようになってしまったのだ。故に彼女は今、護身用の短剣──装飾ばかり激しくて実用性皆無──の他は武器を一つも持っていない。このまま魔物の巣窟へ乗りこんでいくのはいくらなんでも無謀だろう、とそのくらいの想像は魔性と直接対峙したことのないディナティアでもさすがにできた。

「くそっ、なんだこのひらひらは……」

夜着として身につけているローブは、生地がたっぷりし過ぎの上に足首までの長さはあるわ、ひらひらしていてやけにまとわりつくわ、動きにくいことこの上ない。

「これだから女の着るものは嫌いなんだ……」

ぶつぶつぼやきながらまた少し体を動かして。

風が強い上に季節は冬前、しかも足場はほとんど皆無という状態……手はかじかむし、足は滑る。ローブは相変わらずひらひらしているし……。

早いこと下までたどりつかなければ落ちて死ぬのは時間の問題だな。

妙に冷静にそんなことを考えて。

ディナティアの部屋は城の最上階。まさかこんな時のための対策だとも思えないが、壁を伝って地上に降りようなどとは、正気ならばまず思わない──それ以前に考え付かないだろう──高さである。

ディナティアとて、好きでこんなことをやっているのではない。しかし他に方法がなかったのだから仕方がない。それでもタリアに会いたい気持ちの方が強いのだから。

大体半分ほども降りてきただろうか、少しほっとして息をついた瞬間。

がらっ、と音がして手元の壁が崩れた。

「わっ……」

片手に全体重がかかる……落ちる、と思った。本能で悟った感覚に偽りはなく、体重を支えきれない左手がずるりと滑る。

精一杯伸ばした彼女の両の手は虚しく空をつかみ、細い体が宙に舞う。

落下していく感覚は、思いがけずゆっくりとしたものだった。遠くなってゆく自分の部屋の窓を呆然と見つめる背中に、戦慄が走る。

わたしは、死ぬのか。

わたしは死ぬのか、お前に会えぬまま──何もかもを、思い残したままで!

声にならぬ叫びが、祈りが全身をかけた。

心を占めたのは絶望ではなく、願い。ただ切なる想い。ひたすらに求める、心。

その瞬間、体が軽くなったような気がした。ふわりと、浮いた。浮いて、それからそれが来た。衝突の瞬間。がしっ、と。

……がしっ?

それはなにか違うのではないかなんだか全然ちっとも痛くないのだが、と思いながらうっすら目を開けると、金の髪と穏やかな微笑が降ってきた。

「こんにちは」

……???

一瞬状況が理解できずにディナティアは硬直した。誰だ、これは。

優しげな風貌に笑みを浮かべて──自分を抱きかかえている、人。

「な、何をするっ!」

思わず声を上ずらせてそう叫び、ディナティアはがばっと身を起こした。

「おや? わたしの腕はお気に召さなかったらしい。それとも余計な手出しでしたか? あのまま素直に重力に従っていたら今ごろは」

笑顔の主は、まだ若い青年だった。少年、というには大人びた雰囲気を持っているものの、恐らくはまだ二十歳前の。

腰に届くほど長い金髪の持ち主で、ごく稀に見る美貌の麗人である。ディナティアを軽々と抱き上げていたことから察するに男なのだろうが、女といっても通用しそうなほど繊細な感じがした。

空から降ってきた少女ををそっと地面に降ろしながら、笑顔のままで物騒な台詞を口にする。微妙なところで言葉を切って、ふふふと笑う彼に、繊細なのは見かけだけだとディナティアはたじろぎつつ思った。

「お前は、誰だ?」

あまり見かけない顔だが。

そう言った少女に、彼は少し目を丸くする。

「おや、ご存じない?」

それは少し寂しいですねぇ、と一旦丸くした瞳を細めた。

「お初におめもじつかまつります、術師のオフィルと申します」

口調からして、多分こちらの正体は分かっているのだろう。

ディナティアはふうん、と言いながらオフィルと名乗った男をまじまじと見つめた。

「術師か……」

噂に聞いたことはある。不思議を行なうものだとか。魔物とは違う、超人的な力を操ることができるらしい。

では、さきほど自分の体が軽くなったような気がしたのもその力で……?

こんなに細い体をしていて、優しそうな顔をしている人が?

青年は黒いだぶだぶの貫頭衣を着ている。足首の少し下まで丈がある、やたら長くて重くて暑そうな代物だ。

薄いローブのひらひら一つで滅入っているディナティアは、よくもまぁこんなものを着ながら涼しい顔で動けるものだと感心した。

「ところでオフィルとやら。さっきから気になっているのだが、お前はわたしの手をつかんで、いったいどこへ連れて行こうというのだ?」

そうなのだ。オフィルはディナティアの片手首をつかんで、どんどん歩いていくのである……それは強引に。

わたしは武器庫へ行きたいんだけどなぁ……。

そう言えないのはやはり、父王の許可をもらっていない後ろめたさがあるからだ。

オフィルは少し微笑むと、つかんでいたディナティアの手をぐいと彼女の方に向けた。

「わたしは術師ですが、薬師でもありますから。こんな怪我を見ては放っておけませんでしょう」

言われて見ると、右手の甲に血がにじんでいる。どうやら壁にしがみついていたときにつけた傷らしい。

「これくらい平気だが」

「そういうわけには参りません。小さな傷と侮るとあとで痛い目を見ることになりますよ?」

やんわりと、にっこりとけれど拒みきれない押しの強さでそう言うと、彼は再びディナティアを抱き上げた。

「しっかりつかまっていてください。少し距離を " 跳び " ます」

" 跳ぶ " ……?

聞いたことのない言葉に、ディナティアは眉をひそめる。だが、言われた通りオフィルの首に腕を回してしがみつき──次の瞬間。

視界が妙な具合に歪み、くるくると回転するような錯覚を覚えた。それはほんの一瞬のこと。

知らぬ間に目を閉じていたのだろう、体にかかる圧力から開放されて目を開けると見知らぬ部屋に来ていた。

何やら香のようなの匂いのする、大きな部屋。

いったい何が起こったのかわからない。

「なに……?」

床におろされながら尋ねると、オフィルは微笑みながら答えた。

「移動したんですよ、城からわたしの部屋までの距離を一瞬にね。さぁ、手を見せてください……ああ、やっぱり。放っておくと化膿しますよ」

ほとんど一瞥に近い診察だった。いくつかの薬草を調合して、手際よく傷口に塗る。

この部屋の匂いは薬草のものだったのか、とディナティアは納得した。

「そういえばさっき助けてもらったのに礼がまだだったな。ありがとう。傷の手当てまでしてもらって、本当に」

ちょっと微笑んで言ったら、オフィルの極上にっこりが返ってきた。その笑顔のままで手当ての終わった傷口を軽くぺしりと叩かれ、ディナティアは思わず顔をしかめる。

「なぜあんな無茶を? 偶然運良く都合よくわたしが通りかかったからよかったものの、一歩間違えば今ごろあなたはそんなふうに痛みを感じることもなかったのですよ?」

心地よく耳に馴染む青年の声にわずかに混じる揶揄するような響き。きゅ、と唇を噛んでうつむくディナティアの前に湯気の立つ椀が置かれる。

「とりあえずこれをお飲みなさい。気分が落ち着きますから」

差し出された薬湯らしき椀から、ふいと顔をそむける。

「落ち着かなくていい……落ち着いてなどいられない! 今こうしている間にもタリアはひどい目にあっているかもしれないのに!」

視界の端で金の髪が揺れる。オフィルが首を傾げたのだと、なんとなくわかった。そして彼がつぶやく。

「タリア……?」

きゅうっと、胸が痛くなった。自分の呼ぶそれと、彼の口にするそれ。音は同じなのに宿る響きのなんと違うことか。求める想いの、なんと違うことか。

タリア。

大切な、かけがえのない人。十五になる自分よりも九つも年上の、なのにいつも自分に目線を合わせて会話してくれた、優しい女性。

自分のわがままを嫌な顔一つしないで聞いてくれた。けれど必要なときには叱咤することさえ差し控えなかった。こちらの顔色をうかがってばかりのほかの女官たちとは根本的に違う、本当に親身になってくれる唯一の存在。おべっかなんて一度も口にしたことはないし、ご機嫌取りをすることもない。へつらうことも。常に真実で接してくれた人。

カイラルが生まれてからのこの一年近く、自分が父や義母との関係を、そして心の均衡をなんとか保ってこれたのは、ひとえに彼女のおかげなのだ。彼女がいなければとっくに心は折れていた。

その彼女を、父はあきらめろと言う……冗談ではない、というのだ。

あなただってカイラルを奪われたらそんなことは言えないはずなのに。

どうして分かってくれないのか。

タリア……タリア。

なぜ消えてしまったのだ、お前は。分かっていたはずだろう、お前がいなくなればわたしが平静でなんかいられないことは?

なのに、どうして──。

「あの人がいなくなったら、わたしは生きていけない。生きる目的も、生きる価値もなくなってしまう。あの人がわたしを必要としてくれたからわたしは生きてきた……姫という立場にも甘んじてきたんだ。なのに、今タリアはここにいない……!」

気が狂いそうだった。

「タリアを助けにいかれると……そうおっしゃる?」

あまりにも少ない情報の中から、それでもオフィルは答えを見つけ出して提示した。ディナティアはこくりとうなずいて応じる。

「大切な、人なんだ……。どんなことをしてでも助け出したい。あきらめるなんて、ごめんだ」

彼女のいない世界なんて考えられない。彼女だけしか、いらない。彼女が戻ってくるのなら、なにもかも捨てたっていい。

どうしてこんなことを、この初対面の青年に話しているのかは分からない。もしかしたら、ずっと誰かに話したかったのだろうか、自分は。聞いてくれる人を、探していたのだろうか?

この胸に巣食う不安に押しつぶされそうで、誰かに支えてもらいたかったとでも? タリアはいないのに……タリアがいない、から?

「では、まずは……薬湯を飲んでください、姫。わたしでよければ力になりますから……だから」

困ったように微笑みながら、オフィルが再び湯呑みを差し出した。

「自分を追い詰めてはいけない……一国の王女ともあろう方がそのように取り乱されては。どんな時であっても冷静に物事を見つめていくこと。でなければ、人の上に立つことなどできはしませんよ?」

続けられた言葉に、ディナティアの腕がうなる……オフィルの差し出した薬湯の器を、床にたたきつける!

「お前も同じだ! 父上と同じだ。わたしが望んだわけじゃない、姫として生まれることなど! なのに勝手に押しつけて、できなければわたしのせいにするんだ。わたしは名目上だけの地位も名誉もいらない。誰かに必要としてもらいたいだけだ。わたしの存在は決して無駄ではないと……そう言ってもらえれば、それで十分なのに!」

悔しくて涙がにじんだ。

どうしてこんな奴に言われなければならないのだ、一番気にしていることを。

一番触れられたくない話題にこんなにもたやすく、触れて!

嫌いだ。大嫌いだ。

こんな男に、なぜ本心をぶちまけているのか、それは謎としか言いようがない。

けれど止まらないのだ……あふれだした気持ちが。まるで堰をきったかのように。

「お前なんかには分からない。望まれない子がどんな扱いを受けるか、用済みになったら人々がどんなふうに手のひらを返すか、なんて……! 国なんて知らない、王家の義務なんて知ったことじゃない。タリアがいてくれれば、それでいいんだ!」

言いきった瞬間、オフィルの目に傷ついたような光が走った。痛ましそうに自分を見つめる視線──どうして、と思う。

どうしてこの男がこんな表情をするのか。傷ついているのは、こちらだというのに。

ふい、と横を向いてディナティアはかすれた声を絞り出した。

「そんな眼を……するな」

言って、再び青年を睨みつける。これ以上はないという強さで……涙に濡れた瞳で。

「わたしは、お前に同情してもらうために話したのではない」

同情なんてごめんだった。そんなものいらない。どうせ分かりはしないのだ……理解など、できはしないのだ、自分の気持ちなんて。

もう期待なんてしていない。父親の愛情を望んで望んで、けれど得られなかったあの時に、そんなものは捨てた。

あの時──カイラルがこの世に生を受けた瞬間。

性別の違い故に自分が十五年かかっても得られなかったものを、彼は生まれながらにして持っていたのだ。幸福そうに彼を見つめる彼の両親……父のその姿を見たとき、自分は悟ってしまった。

ここに、自分の居場所はないのだと。

そうして、タリア以外の誰にも、その心の内を明かすことはなくなってしまったのだ。

しまった、というのに──なのに、これは。この男は。

どうしてこんなにも、自分に近い眼をするのか。

「同情……かもしれせん。ですが、目の前で悲しむ人を気遣うのに、理由はいらないでしょう?」

困ったような、けれど確かにあたたかなものを含んだ笑みを浮かべて、オフィルが言う。

「気遣う? お前が……わたしを?」

目を丸くして彼女は問いかけた……心底から驚いて。

「ええ」

にっこり笑ってうなずく青年を、瞠目しながら見つめて。

どうしてこの人はこうも自分の心を揺さぶってしまうのか。自分が欲しいと思う言葉を、こんなにあっさりと口にして……!

信じられなかった。今までタリア以外にこんな人はいなかった。

彼女以外に、自分を気遣ってくれる人なんて……。

「ディナティア様?」

涙があふれた。悲しいからではなく、辛いからでもなく、ただ嬉しくて。

驚いたように名を呼ぶ青年の反応が新鮮で。

「お前みたいな奴は、知らない……」

つぶやきながら、安堵している自分に気づく。

はりつめていた緊張の糸が、ゆるゆるとほどけ出す……肩の力を抜いて、ディナティアはオフィルを見上げた。

「薬湯を……もらってもいいか?」

そうして青年は、先ほど台無しにされた一杯分を気にするふうでもなく、気持ちいいほどあっさりとうなずいたのである……。