Irreglar Mind
第7章 封恋 - 2 -
俺が意識を取り戻したのはそれから約30分後のことだった。
樹の家の客用寝室のベッドに寝かせられていて、周りをぐるりと人が取り囲んでいる。
うっ……なんか大層なことになってない……?
冷や汗もんの俺の脇には高江が立っていて、俺が気づいたのを見て取るや、みんなに出て行くようにいった。
「ストレスによる胃痛だ。大したことはないが、もう少し寝ておけ」
……ストレス、か。確かに。
紗夜さんを見た瞬間、絶対かなわないて思いが全身に広がった。
くるりときびすを返して逃げ出してしまいたかった。
だけど、そんなのって格好悪い。そんなのって……できない。
だって、樹は友達だ。俺がどう思ってたって、友達だ。
そんなことできないよ。
だけど、紗夜さんを見てるは辛かった。紗夜さんと樹が並んでいるのは、辛かった。
思いと思いにはさまれて、苦しかった。
自分が望むほどに強くない自分に、内心で苦笑していると、高江の呆れたような声が降ってきた。
「自分で自分を追い詰めるのはよせ。結論を急ぐな。幸せになりたければ、自分に優しくすることだ。まったく、もう少しで樹に女だってばれるところだったぞ」
そう言われて、そこでやっと俺は気づいた。
俺がぶっ倒れたとき、近くにいた樹が手を伸ばしていたのに、どうして高江が先に俺を抱き上げたのか。
もし樹が俺の体を受け止めてたら、今ごろ俺は女だってばれてただろうな。
高江はそれを防いでくれたんだ。
とっさにそこまで頭の回る彼に感心しつつ、俺は礼を言った。
「ありがと、高江」
でも俺は、もういいと思ってたんだ。
樹に女だってばれても。
むしろその方がどれだけ楽かしれない。
ずっと男だって思われてるってことは、好きだと思ってる俺のこの気持ちが、気取られることすら許されない、ってことだ。
それって、きついよ。
俺はできる限り努力するけど、それでももしこの想いが消えなかったら、そんな気持ちはもっと強くなるに決まってる。
そうなったらきっと、自制なんてできない。
気持ちを押さえるなんて、無理だ。
「俺って、自分を追いつめてるかなぁ……」
ぽつり、ともらしていた。
意識したわけじゃなく、ごく自然に。
自分に優しくしろと高江は言ったけど、十分に優しくしてると思うんだよな。
だって俺ってすごくわがままじゃん。絶対好きにならないって断言したくせに樹を好きになって、紗夜さんを見たらあきらめようって決心したのに、嫉妬に狂って。
呆れるほど自分に正直すぎて、目も当てられない。
最低だ……。
「お前は焦りすぎてるんだ。何も解決しないうちから新手の問題をしょいこんで、ドツボにはまっていく悪循環を繰り返してる。欲張らずに、一つだけを狙え」
高江はそう言うけど、一つだけ狙えったってゲームじゃないんだぜ。俺にどうしろっていうんだ。
「友情か恋か、お前の樹に対する気持ちをどちらに育てるか、だ。言っておくが、恋を選ぶならそれなりの覚悟をした方がいい。十中八、九、あいつはお前に振り向かない」
うっ、ずばっと言うよなぁ。分かってんだよ、そんなこと。
だけど俺が恋を取る方が、高江にとっては苦しいんだろうな。弓緒さんのこと、思い出したりしてさ。
でも、高江って紗夜さんのこと、好きなんだよな。
としたらやっぱ俺、あきらめないでバンバンアタックして、紗夜さんと高江がうまくいくように樹との仲を邪魔した方がいいんだろうか。
それで俺は聞いてみることにした。
かといって直接的にズバッと切り込むのはやっぱりためらわれて、少し考えて、こう言った。
「高江、お前、幸せになりたい?」
俺が突然口走った質問に、高江は面食らっていたようだけど、一応まじめに答えてくれた。
こういうとこ、やっぱりいい奴だよな。
「そりゃあね、おれだって人間だから。最高の幸せなんかいらないから、ささやかには欲しいかな」
そうか、幸せになりたいのか。
でも高江の幸せって、いったいなんだろ。
そこがわかんなきゃ俺は手の打ちようがないので、再び問うてみた。
「お前の幸せって、何?」
すると高江はちょっと考え込み、首をかしげながらこう答えたんだ。
「少しでいいから、おれを理解してくれる人が現れてくれること。おれの大切な人たちの幸せを、おれが守って行けること。……それで、いい」
それを聞いた瞬間、俺は頭を殴られたような衝撃を受けて、ちょっと放心してしまった。
なんだか、すごい台詞を聞いた気がする。
自分の大切な人たちの幸せを守ることが、幸せ……?
きっと弓緒さんのことを言ってるんだと思った。
守れなかった弓緒さんの幸せの分まで、他の人を幸せにしようと思ってるんだ、きっと。
弓緒さんが樹のことで悩んでて、それを解決できなかったからって、それはなにも高江のせいじゃないのに。
大人なんだと思う。高江の精神は、大人だ。
たとえどれほど自分が傷ついていても、それでも人を優先するんだ。
それを自分の幸せにしてしまえるんだ。
すごいよな。本当にすごいよ。
俺にも少しくらいわけてほしいな……その、精神の強さを。
自分のことだけを考えない、ゆとりのある恋をするために。
「俺さ……紗夜さんに嫉妬したんだ。馬鹿みたいだろ。樹が、好きだよ……紗夜さんが隣りにいても。あいつの目に紗夜さんしか映ってなくても。あんなに幸せそうに笑ってる二人を見て、別れろ、なんて思っちまうんだ。俺って嫌な性格だよなぁ……」
どうしてこんなことをしゃべってるのか、わからない。わからないけど口が勝手に動いて、べらべらとまくしたてていた。
高江、呆れてるだろうなぁ……。
だけど一度勢いに乗った俺のおしゃべりは止まらなくて、さらに意味のない台詞をぶっちゃけていたんだ。
「でも、お前には幸せでいてほしいな。大切な人の幸せを守れればいい、っていったって、それって結構難しいと思うしさ。お前のことだから、なんでもないことみたいに、さらっとやっちまったりするんだろうけど、お前って自分が傷ついてても絶対人に言わないだろ。心配させんのって悪いことだと思ってんだよな、違う?」
……ああ、俺は何を言ってるんだろう……。
俺は真っ赤になってうつむいた。
だって恥ずかしいよ、高江に説教するなんて信じられない。
相手は天才と呼ばれる奴だってのに。
けど高江弓也本人はそんなことは気にしてないらしく、ちょっとびっくりしたように俺を見つめた後、くすっと笑って言ったんだ。
「そんなこと、今まで言われたことなかったな。お前って変な奴」
くすくす笑う彼の顔はやっぱり綺麗で、でもっていつもよりやわらかく見えた。
わーるかったね、変で。
俺はちょっとむっとしたけど、すぐに思い出した。
高江の言ってたもう一つのささやかな幸せ。
高江を理解してやれる人が現れること。
こいつって天才だし性格悪いから、とっつきにくいんだよな。でもって目つきまで悪いもんだから、凄まれると怖くてさ。
んで、言うことはやたら難しいわ厳しいわで、はっきりって凡人には理解不能。
そうだよなぁ、こういう奴って浮きやすい。
俺もそうだけど……理由は全然違うけど。
でも確かに理解してくれる人っていない感じするよな。
……もしかしたら、それもまた、弓緒さんが、担っていたのかも……。
姉でありながら、尊敬する人でもあった、弓緒さん。
高江の中で、彼女の存在は、どれくらい大きいんだろ。
────俺が。
不意に、思った。
俺が、代わりになれたら。
同じようには無理なのはわかってる。だけど、ほんの少しでも。
高江の理解者になって、幸せをやれないかな。
そうできるといい。そうしたい!
こいつのささやかな希望を、かなえてやりたいと思った。