君思う蒼の雪の夜深く
プロローグ
だいたい。
ため息をついてファーランスは思った。
大体、相手が悪すぎるんだ。
何事にも己をわきまえることが大切だと、小さな頃から何度だって教えてきたではないか。身に過ぎた幸せを望むなんて、馬鹿のすることだと。
時に行く末が心配になるほど、そう、呆れるほどに素直に過ぎた性格だというのに、どうしてこんなことだけはしっかりきっぱり逆らってくれるのか。
半べそで泣きついてきた童顔を思い出し、またため息が出る。
まったく。
まったくまったくまったく!!
何が腹立たしいと言って、奴の言い分がまるで理解できないことだ。今までこんなことはなかったというのに。
同意できるかできないかは別として、「想像できない範囲」ではなかった。わかろうとする努力の及ぶ範囲だったのだ。
けれど、今回は。
今度という今度は。
「なにをどうやってわかれというんだ、どちくしょう」
いらいらと髪を引っ張りながら低い声で毒づいた。
褪せた銀の長い髪を引っ張るのは、ファーランスの癖だ。いらついた時限定の。
「そんなことをしたら傷んでしまうからやめなさいと、前から言ってるじゃないか。せっかく綺麗なのに」
後ろから白い手が伸びてやんわりとなだめたのはそのときの事。
過去何度もあったはずのそのシチュエーションに、ファーランスの苛立ちはさらに募る。振り返ればそこに、自分と酷似した、けれど間違いようもなく別の人間である人物がいることは、確かめるまでもなくわかっていた。
「エルアファン」
低い声でその名を呼ぶ。
そこに含まれた怒りにも似た苛立ちの色は非常に濃く、気づかぬはずはないだろうというのに、返る声は拍子抜けするほど底抜けに無邪気だった。
「なぁに?」
「なぁにじゃないっ!」
振り返って怒鳴りつける。
白い面に朱を上らせるファーランスの前で、双眸の色のみを違えたそっくり同じ顔が、驚いたようにぱちぱちと瞬きをした。
「お前、いったい何をした?」
何かしたか、ではなく、何をした、と尋ねる。根拠があるわけではなかった。けれどわかる。いや、決まっている。
他にいないではないか。それに…それに。
「だから、なぁに?」
わずかに眉根を寄せ、エルアファンはもう一度繰り返した。
ファーランスが怒る理由になどまるで思い当たらない。そう表情が物語る。だが、追及の手は緩まなかった。
「しらばっくれるな!お前しかいないだろう…いや、お前だからこそ!お前しかいないじゃないか…!!」
ことり、なにか考え込むように首をかしげたエルアファンは、おもむろにゆったりとした動作であたりを見回すと、再び視線をファーランスに戻し、尋ねる。
「みんな見てるけれど、いいの?ファーランス?」
「話をはぐらかすなよっ」
「はぐらかしてるわけじゃないんだけど……」
困ったような表情の中で、暗褐色の瞳がきらん、ときらめいた。…気がした。
途端、ファーランスの頭に上っていた血がすぅっと引く。
エルアファンがこんなふうに言うときは、絶対何かをたくらんでいるのだ。
それは警告であり、同時に身をもって深く知っているからこそ得た大事な大事な教訓でもあった。
「………やっぱりいい」
つい、と顔を背けてファーランスはぼそりと口にした。
いいわけはない。ちゃんと追及して吐かせてやる。
けれど今それを実行するのはとてつもなく危険だと、わかってしまったから、ここは退くしかないのだ。
二人が佇むは、白大理石の石柱のみが存在を主張する古き神殿の跡。街から少し離れた森を抜け、湖上に位置するこの場所は、普段ならまるで人気がない。けれど祭りの近いこの時期に限り、ここは人の絶えぬ所となる。それも一人二人ではない。そういう場所なのだ。衆目を浴びながら今度は何をされるのかと…それを考えたら、とてもじゃないが危険をおかす気にはなれなかった。
「そう?」
あいもかわらず無邪気なエルアファンの声。
思わずぐっと左の拳を握ったが、堪えた。
今度機会を見つけたら。
「……絶対に吐かせてやる……」
不穏な空気をまといながらそうつぶやいたファーランスの傍で、エルアファンはなにが楽しいのか、くすくすと笑っていた……。