あの日見た夢の続きを
序章 (in 777)
「綺麗な槍ね」
突然の声にフィンは驚いて顔をあげた。その反応に、声をかけた人物は目をぱちくりさせる。
「…………わたし、なにか変なこと言いました?」
少し心配げな様子に、フィンは慌てて首を振る。
「いえ。ぼんやりしていたから……驚いただけです、アルテナ様」
苦笑して言うと、アルテナは安心したように微笑んだ。
「その槍……とても大切なものなんですね」
フィンの腕の中の槍に感嘆のまなざしを注ぎながら彼女は言う。
フィンはよりかかっていた木から身を起こし、両手で抱えるようにしていた「勇者の槍」を改めて眺めた。
槍を扱うものなら一目見ればわかるだろう、その輝き。
これまでの幾多の戦いをくぐりぬけてこれたのは、自らの力というよりはこの槍の力によるところが大きい。フィンはそう思っている。
「フィン、お前にこの槍をやろう」
あの日、そう言ってこの槍を手渡してくれた人は、まさかこんな事態を予測していたわけではないのだろうけれど……。
「……フィン?」
呼びかけにはっと我に返る。
「すみません」
どうもぼんやりしている。らしくないことだ、とは自分でも思うが。
追想にふけるなど────今はそんなときではないというのに。
「この槍はキュアン様がくださったのです」
アルテナが瞳を見開いた。
「父上が……?」
すんなりとその言葉がこぼれたことに、彼女自身が驚いているようだった。
ずっとトラキアのトラバントを父と信じていた。アリオーンを兄と。
真実であったはずの絆は、けれどあっけなく崩れ去ってしまった。
父と信じた人は、両親を殺した憎むべき仇────。
とはいえ、父と呼びつづけた17年は偽りではない。彼が自分に注いだ愛情も、自分が彼に覚えた思慕の情も、偽りなどではなかった。真実を知るまでの間……彼は確かに「父」だったのだ。
……けれど。
レンスターのキュアンを父とすんなり認めてしまう自分がいることもまた事実。
突然知らされた「真実」を違和感なく受け入れてしまう自分がいるのは確かなこと。
自分でも驚くほどに。
「……父上が……」
この言葉を、アルテナは複雑な思いで噛み締める。
キュアンを父と認めつつ、今は亡きトラバントを心底に憎む気持ちは湧いてこない。
憎いのに。
キュアンが父だと、その実感があるからこそ、憎いのに。
人とは、なぜこんなに不便な生き物なのだろうか。もっと割りきれたなら……アリオーンを敵に回すこととて、これほど苦しいとは思わなかっただろうに。
「…………お使いになりたいですか?」
アルテナの沈黙をどう取ったのか、フィンがそう尋ねた。
アルテナはゆっくりと首を振る。
「わたしにはゲイボルグがある」
ノヴァの残したゲイボルグの槍────かつてキュアンがふるったその槍を、アルテナがふるう。
悲劇を生み出すと言われるこの槍を、未来を切り開くために。
「そうですね」
穏やかな顔でフィンはうなずき、思い出したようにこう続けた。
「さっきびっくりしたのは……昔、あなたと同じことを言った人がいたからなんです」
過去を懐かしむ響きに、アルテナは首をかしげる。
「そうなのですか……。ナンナがあなたの槍はとても綺麗だから、一度ゆっくり見せてもらいなさいと言ったのです。わたしが槍の収集癖を持っていること、誰から聞いたのだか」
フィンは意外そうに彼女を見た。
「そんなご趣味がおありでしたか……」
心なし、警戒する声音にアルテナはくすくすと笑い出す。
「大丈夫ですよ、心配しなくてもその槍を欲しがったりしませんから。……それはあなたの槍でしょう?」
遠くから彼女を呼ぶ声がする。リーフだった。
「ああ、行かなくては。……あなたは?」
夕食ですよーっ、という大きな声が風に乗ってやってくる。
それに手を振りながらアルテナは尋ねた。
「わたしは……もう少しこのままで」
答えたフィンに、では、と微笑みかけ、彼女は弟の方へ歩いていく。
その背中を視線で追いながら、フィンは自分の口元に浮かぶ笑みに気づいた。
その理由は知っている。
……ナンナがこの槍を綺麗と言ったか……。
時は流れても変わらぬ想いがある。
伝わってゆく、想いがあるのだ。
夕食の準備に沸き返る陣営を見つめ、フィンは穏やかな気持ちで歴戦の勇者である相棒を抱えなおした。