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ヴェイルの守護者

六章

現われたのは魔性の女。

魔性──その他の一体どんな存在が、こんな芸当をするというのか。

何もない空間から、いきなり現われるなど。

外見は人とまるで変わらない。さきほど会った小悪魔のような、それと知れる特徴など見うけられない。けれど……その、かもし出す雰囲気。取り巻く空気が違う。

相手にして勝てる気はしないな、とディナティアは変に冷静な気分でそう思った。

だが、彼女が邪魔をするというのなら、戦わないわけにはいくまい。ここから先へ、自分はどうしても行かねばならないのだから。

長い黒髪、衣装は真紅。鮮やかな色が映える白い肌に、銀色の瞳。

瞳の色の美しさで魔性の力の度合いが知れるという。

では、この女はどうなのだろうか。

わずかに黄みがかった銀の瞳。強い意志を持つ、それ。

ディナティアにはわからないけれど。

「……なに、あんた? こいつらの仲間なの? 人間と魔性がつるむなんて、珍しいこともあるもんだね」

面白くなさそうに、リファスが女に向かって声を放つ。微塵の怯えもない声に、女は興味をひかれたように眉を上げた。

「つるんでいるわけではない。土地を貸してやっているだけのこと。だからこやつらを助ける義理など本来ないが……面白そうだったのでの」

落ちついてみると、周囲の野盗どもも一様に緊張しているのがわかった。

平気なふうでいるのは、リファスだけだ。

彼は相手が誰か、などということにはほとんど頓着していないように見える。ただ、相手にする人数がまた増えた。厄介だな。……という程度にしか。

「だったらご期待に添えず申し訳ありません、というべきなのかな、俺は。あんたが何を期待して出てきたか知らないけど、邪魔な奴はみんな殺すよ」

聞いているこちらがはらはらするような台詞を、リファスは平然と吐く。

この余裕はなんなのだろう。よもや、はったりではあるまいが──ここまで言うからには。

だが、まだこの少年を信頼できると判断するだけの時をディナティアは共に過ごしていない。彼の様子が普段と違うのもまた気になる。

不安になるのも無理からぬこと……。

ただでさえ、ディナティアは人を信じることが難しいと思う。……思うのに……彼のことは信じたかった。

「大きな口を叩きおる。後で命乞いしても遅いよ、坊や」

女の台詞に、リファスの頬がわずかにひきつる。坊や、というのが気に入らないらしい。

「その言葉、そっくりそのままお返しするよ。もっとも俺は、命乞いする暇なんか与えないけどね」

だが、言い返すその口調はどこなく楽しげだ。理由なんて、ディナティアには皆目わからないが。

「……まったく、減らぬ口よのう。同じほどに腕も達者だとよいがの」

言いながら女は両手を自分の正面に向かってまっすぐに突き出し、左右に水平に開いていく。

離れていく両の手の間に、紅の光が生まれ、剣の形を取って具現化した。

わずかに訝しげな表情をするリファス。

「ふうん……あんたの獲物は剣なのか……」

意外そうな声に、女は少し唇を吊り上げた。笑う……あまりにも酷薄な笑みに、ディナティアは嫌な予感がした。

「どれほどのものか、お前の力、ふるうてみよ!」

叫びざま、女がリファスに向かい走り出した。流れるような身のこなし──ゆったりした古風な物言いとは裏腹に、その動きはすばやいことこの上ない。

「上等だねっ!」

リファスが腕の翼で女の刃をむかえうつ。

しゃん、と鈴が鳴るような音を立てながら二人は数合剣を合わせた。

「こんなものかい?」

挑発するようにそう言いながら女が飛び退る……刃を天に突き上げるように振りかざし。

その剣先に光が集い始めるのを見て、リファスは表情を険しくした。

「なにを……」

しようというのか。

答えは身をもって知ることになる。

集った光は真紅の帯となってリファスへと走った。途中で幾本にも分かれ、彼をとらえるため四方八方から襲いかかる。

「こんなもの!」

リファスの軽やかな動きが帯の先手を打ち、腕の翼がそれらを切り裂いてゆく。

だが。

お話にならない、というように女を見やったリファスの背後、切り裂かれ地に落ちるはずの帯の切れ端はまるで自らの意志を持つように再び力を宿した。

音もなく、彼の後ろから切りつける──!

「あぶない、リファス!」

こらえきれずディナティアは叫んだ。

空気の変化を感じたのは、その刹那のこと──。

……なに?

空間が喜びの声をあげたような、そんな錯覚。

ちいっ、と舌打ちしながら少年は飛来した帯をたたき落とす。それに向け、女は気の毒そうな視線を投げた。

「お前の連れは余程自信があるのじゃな、お前の力に。でなければただの馬鹿か。どちらにしてもかわいそうなのはお前じゃ──」

同情心たっぷりの言葉……ちらり、と女のくれた一瞥に、ディナティアは自分の失態を悟る。

蒼白になる彼女の前で、魔性の女はえもいわれぬ優しい声で少年に呼びかけた。

「──のう、 " リファス " ?」

名を呼ばれた瞬間、少年の動きが停止する──その顔に浮かぶのは、まぎれもない苦痛の色。

瞳の輝きだけが、彼の意志を映す。

「ほう……まだ抗えるか。面白いが……かわいくないの」

動けずにいるリファスへ向け、女は剣をふるう。襲いかかる、群れ成す真紅の帯──刃。

避けることはかなわず、リファスは目を閉じた。

リファス──!

宙に散る赤い飛沫。

あえて深手を与えず少年の苦悶を楽しんでいるのであろう女を、ディナティアは睨みつけることしかできない。

なんてことだろう。

自分が馬鹿だからこんなことになっている。

よかれと思って口にした叫びが、逆にリファスを追い詰めた。

関係ないのに。

リファスはただ、一緒にいてくれただけだ。

彼がいなければ、この窮地に陥っているのは自分だったはず。いや、とっくに殺されているかもしれない。

──彼が、いなければ?

心に浮かんだ言葉に、ディナティアははっとした。

彼がいなければ……戦っていたのは、自分だ。死に物狂いで道を探しただろう。生き抜くため、再びタリアに会うために。

なのに……今、自分は何をしているのだ?

守ってくれる者がいるからといって守られるだけに徹してどうするというのか──まして彼が危険な今。

……どうすれば?

それを考えるより先に、彼女は声を張り上げていた。野盗の一人に両手を後ろ手につかまれ、首に腕の枷をかけられたまま。

「女!」

高圧的な呼びかけに、魔性の女は不愉快げに眉をはねあげる。

「な……に、を……」

途切れ途切れのリファスの声。苦しそうな息遣いに胸が痛んだ。

「お前の目的はなんだ? お前の領域で騒がしくしたものに制裁を加えることか? ならばそれはわたしだ」

女が興味をひかれたように目を細める。

「お前が? 見たところ一介の人間にしか見えぬお前が、我が結界を揺るがしたというのか?」

結界──?

そんなものは知らなかったが、ディナティアははったりをかました。動きかける顔の筋肉を必死で保って。

「そうだ」

女の注意が少しでもリファスからそれてくれたら──それで彼が楽になれたら。

今、ディナティアができることはそれだけだ。

「わたしがやった。お前が相手をすべきは、このわたしだ」

左頬のあたりに強烈な視線を感じる……リファスの。

どういうつもりなのか、という問いかけと、黙っていろという怒り混じりの願い──そちらを見ずとも分かるだけにディナティアの顔は緊張する。

魔性を相手に、自分が何をできるわけもない。人間である野盗相手ですらあっさり不覚を取ったこの自分なのだ。

けれど、それでも。

──生きてやる。

そう覚悟が決まっているから、怖いものなどない。……ないのだ。

「そうか。お前か。……ならばこの紅の刃を受けるがいい!」

乱れ舞う紅の軌跡……目指すはディナティア。

彼女をとらえている男の腕の力がゆるんだ。迫り来る紅の恐怖に負けて。

そのわずかな隙を利用し、彼女はその腕の中から抜け出す──彼女の身が沈むのと、紅の帯が男に巻きつくのとはほぼ同時だった。

「があっ!」

言葉にならぬ叫びを上げ、男はどうと倒れる。

女の刃は加減などせず、男の体を切り裂いていた。リファスのときのようにもてあそぶつもりはないのだ……殺す気で、いる。

魔性相手に物理攻撃が有効だとは思えなかったが、ディナティアは腰の剣に手を伸ばした。獲物はこれだけだ。他に武器なんてない。何か特別な力を持っているわけでもない……オフィルやリファスのようには。

「小賢しいっ!」

女が再び剣をふるう……今度は間違いなくディナティアを狙ってきた。隠れる場所も、盾にするものもない。

急所だけは避ける!

両手を顔の前で交差させた少女を、あたたかな光が包みこんだ。

飛来した帯を、その光がことごとく跳ね返す。

「ほんっとに無茶苦茶だってっ!」

腕の向こうにリファスの背が見えて、ディナティアは目を丸くした。

リファス……?

動けないのではなかったか。女に名前を呼ばれて、だから……。

「お前っ?」

狼狽する魔性に向け、リファスは憐れむようなまなざしを向けた。

「残念だったねぇ。勝ったと思った? 俺はね、堅実で慎重な性格なんだよ。……会ったばかりの人間に、ほんとの名前なんて教えるわけないでしょ?」

リファスの腕の翼が大きく伸びて、ディナティアを包み込んでいる。そのあたたかさの中で、彼女は驚愕に目を瞠った。

……ほんとの名前なんて教えるわけないでしょ?

では、リファス、というのは彼の名前ではないというのか。

「……ちょっと、後ろのお姫様。そのショック面やめてくれる?」

振り向きもせず、リファス……否、リファスと名乗った少年はそういった。だがそうは言われても。

「大体、どうする気でこんな真似するのさ。こいつは俺に言わせれば全然クズだけど、君には荷が勝ちすぎる相手だよ? 張り切るのはとっても結構だけど、それは俺の知らないとこでやってくれる?」

辛辣な口調で言いたいことを言う彼に、ディナティアはしゅんとなる。

「すまない」

彼の言うことはとっても正しい。正しいから謝るしかない。

だが彼は怒っているわけではないらしく、分かればいいんだよ、とあっさり片付けた。

「学習する人は好きだよ。でもそれをおばさんに求めるのは酷かなぁ? ……なんか顔赤いみたいだけど、大丈夫?」

ますます口の滑りがよくなるリファス……と名乗った少年に、女は無言のまま剣を走らせる……帯ではない、実際に自ら走りこんでくる。

うっとうしげに舌打ちして少年は応戦した。

しゃん……!

紅の剣と光の翼がぶつかるたび、美しい音色が散る。

しゃん、しゃんしゃん!

ディナティアから女を遠ざけるように、少年は動いてゆく……誘導してゆく、かに見えた。だが、突如彼女はリファスから離れるとディナティアへと襲いかかってきたのだ……!

「ふざけた真似をっ」

少年の腕から翼が伸びる──女を体ごと捕らえ引きずり戻す。だが、それはすでに彼女が真紅の帯を放った後のことだった。

襲来する紅の帯。

──負けるものか。

ディナティアは心の底で強くそう思った。

負けるものか。こんなところで自分は死なない。タリアに会わねばならないのだ。どうしても、会わねばならないのだ。

だから…………!

最初の帯の先端がディナティアの髪の先をかすめた。

彼女の体がまばゆいばかりに光を放ったのはその時のことだった──。

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