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ヴェイルの守護者

二十章

旅を始めて十日目。予定ではそろそろ目的地に到着しているはずだった二人連れは、けれど未だ道程を多く残したまま難しい顔で唸っていた。

「……どうしよう」

途方に暮れたように少女がつぶやけば。

「どうしよう、ねぇ……」

消沈した顔で少年が返す。

二人の視線の先には、ヴェイル・ハイノアと呼ばれる都市の入口があった。ハイノアはガルス海の手前に位置し、険しい山に囲まれた小さな都市だ。この都市を抜けていくつか山を越えれば目的の場所につくはずだった。紛い物の地図をつかまされ、野盗に襲われ、大きな寄り道をした割には順調に進んできたと言えるだろう。だが。だがしかし。

「検問とは……迂闊だった」

まったくである。

門に辿り着き、勇んで入ろうとした二人は衛兵に通行証の提示を求められた。無論二人がそんなものを持っているわけはない。思いも寄らぬ障害に愕然としたディナティアを哀れに思ったのか、衛兵は何も通行証に限らずともよい、と暗に袖の下を要求してきた。腐ったやつらだ、と憮然としたディナティアだったが、この際綺麗事は言っていられない。割り切るしかないか、と腹を括って懐をまさぐったのであるが……。

袖の下を渡そうにも彼らは文無しだった。正真正銘、一文無しだった。有り金は全部、野盗に襲われたときに渡してしまったのだ。その後奴らを一網打尽にしたとはいえ、ディナティアの記憶喪失やらその後に続く一騒動やらで、取られた金を取り戻すというところまで考えが回らなかった。そうして気が付けば、衛兵に追い返され、少し離れた場所からちらちらと恨みがましい視線を投げつつ途方に暮れる、といった事態に陥っていたのである。両の脇にうっそうと茂る森を従えた街道の脇にしょんぼりと腰を下ろし肩を寄せ合う姿は、なんとも情けない。

「もうすぐなのに。あと少しなのに……本当にわたしはいたらないな……」

つぶやくディナティアの肩が震えている。泣くのか、とオルフェは思ったが、彼女が涙を見せることはなかった。ぐ、と拳を握って耐えている。

「どうするの?」

彼女と一緒になって消沈してはいるものの、実はオルフェはそれほど落ち込んではいない。通行証がない。金がない。それがなんだというのだ。金がなくとも生きる方法はいくらでもある。そして、目的地に辿りつくことだって不可能ではない。無論それには多少卑怯だったり手荒だったり決して正攻法とはいえない手段が付随するのだが。

問題はそれを彼女がよしとするかということと……もう一つ。

これはあくまでも彼女の旅だということ。オルフェが道を示したのでは何の意味も成さない。ここで諦めるというなら自分が手や口を出す必要はないのだと、彼は思って、そして待つ。

じっと考え込んでいた彼女が口を開いたのは、それからしばらく後のこと。もう夕刻になろうかという頃だった。

「時間が惜しい。山越えをしている暇はない。──通さぬというなら勝手に通るまでだ」

顔を上げた彼女にもう迷いはなかった。決然と前を見据える。彼女が一番楽な道を選ばなかったことにオルフェが思わず笑みをこぼすと、彼女は不思議そうな顔をした。なんでもない、と首を振り、立ち上がってぐりぐりと腕を回しながら尋ねる。

「それで、具体的にはどうするの? 門を通る? 壁を登る?」

「あまり目立ちたくはないんだ。下手に素性が知れるとオフィルに迷惑がかかるからな。わたしの顔を知る者がこんなところにいるとも思えないし、お前が教えてくれたように影武者が城にいるのだとしたら追捕のかかっている可能性も低いが……万一ということもある。やはり夜を待って壁を……」

言いかけたディナティアは、ハイノアの都市をぐるりと取り囲む石造りの外壁に目を留め、立ち上がって少し考え込むと、同じか、とつぶやいた。そびえる外壁の高さはディナティアの身の丈の五、六倍はある。技術も道具もない身でよじ登れるようなものではなかった。

一方、閉ざされた門扉にはすでに赤々と火が灯されており、三人の衛兵がその前を守っている。人の出入りは少なく、暇を持て余した衛兵達は門の前にどっかりと腰を下ろして談笑していた。陣取っている場所が場所だけにその目をすり抜けることは難しそうだ。

「酒盛りでも始めて酔いつぶれてくれたりしないかな」

オルフェのつぶやきに、そんな都合のいい展開があるものか、とディナティアは苦笑する。その時、門扉が小さく開いて、おさげ髪の少女が顔を出した。ディナティアは真顔になり、その動向を見つめる。

衛兵達が振り返り、少女と言葉を交わした。少女はどうやら夕食を届けに来たようだった。持ち手と蓋の付いた大きな桶のような入れ物を肩に担ぎ、さらに開かれた門から外へ出てくる。

「行くぞ」

低い声でディナティアが声をかけた。二人、同時に地を蹴る。

「きゃああぁぁっ!」

駆け寄る気配を感じたのか、こちらに顔を向けた少女の喉から悲鳴がほとばしった。その顔に浮かぶ明らかな恐怖の色にディナティアがわずかな懸念を覚えた、その瞬間。

彼女の脇を、黒い影がすり抜けた。オルフェではない、彼はわずかに前を行き自分の目はその背を捉えている。──では、あれは?

オルフェをも抜き去った黒い影は目を瞠る速さで門へ迫った。悲鳴を上げた少女はもはや声もなくひきつった顔でへたりこみ、衛兵達も泡を食ったように腰を抜かしている。一人が掠れた声で叫んだ。

「ま、魔物……!」

四人の前に降り立った " それ " は、一瞬動きを止めると品定めをするようにぐるりと目の前にいる人間を見回し、そして少女に目を留めた。とんとんと片足で地面を数回蹴り、彼女に踊りかかる。戦慄がディナティアの背を駆けた。

「オ……リファス!」

その呼びかけがなされるより早く、オルフェの足がひときわ強く地を蹴り、彼は滑るように空を移動して影の背中に肉薄する。すでに片手に少女の腕を捕らえていた魔性の肩へ、彼の手刀が叩き込まれた。

キョロリ、と目だけが動いて視線がオルフェを捕らえる。干からびた鳥の頭に似た頭部。その中にたった一つだけ埋め込まれた、宝石のような瞳にオルフェは息を飲んだ。いや、正確には、飲みかけた。その間すら与えず襲いかかった痛み──鳩尾に熱い塊のようなものを叩きつけられ、彼の体はすさまじい勢いで吹っ飛ばされる。

「リファス……!」

まっすぐ後方へ……ディナティアの脇を通り越し、さらに後方へ飛ばされたオルフェは街道脇の木に叩きつけられて地に落ちた。それを振り返り、ディナティアは足を止める。なんという力──!

少女を捕らえる魔性の姿は、子供のように小さく、折れそうに細い。頭が肩幅よりも大きくて、胸から上には毛がなく、ひからびていた。対照的に腹部から下はふさふさとした黒い毛に覆われている。気を失ったらしい少女のぐったりした体を抱え、魔性が向き直った。突き出た嘴と異常に大きな一つの目を持つその顔が、ディナティアへと向けられる。

「見るな……!」

後ろから、オルフェが叫ぶ。

「そいつの目を見るんじゃない!」

痛みを堪えて伝えたその声は、けれど一瞬遅かった。

銀色の、大きな瞳。かちり、とそれが焦点を結ぶ。ディナティアを、見る。

きいぃぃん、と耳鳴りがした。そして真っ白になる。視界がそうなったのか自分の頭の中がそうなったのか、ディナティアにはわからない。ただ爆発するのではないかと思うほどに、体が熱くなった。そして頭の中に声が響く。

──姫様……。

それは、求めてやまない人の。

彼女の、声がする。呼んでいる。何度も何度も。幾重にも反響し、もう何を言っているのか聞き取れないほどの、声の渦。

泣いて、いるのか。笑って、いるのか。それすらもわからなくて。ただ、苦しい。

「や……めろ……」

頭の中を、心の中をぐしゃぐしゃにかき回されているような感覚に苛まれながら、ディナティアは呻いた。

何かが、暴れている。自分の中で。自分の意志とは関係なく。頭の芯が、かっと燃えた。

「やめろ……!!」

白い、閃光。身を包み込むあたたかな感覚には覚えがある。その感覚がやさしく全身を覆った時、ディナティアに視界が戻った。腰に目をやればオフィルにもらった剣は変わりなくそこにあり、やはり何の異変も見出せない。けれど彼女を守る白い光は確かに存在し、内から彼女を苛んだ力は、もう片鱗も感じられなかった。

ぐしゃぐしゃ、となにかつぶれるような音が耳を打ち、ディナティアははっと我に返る。見れば目の前の魔物の体が小刻みに震えていた。

……笑って、いる?

銀色の大きな目を細めて、" それ " は笑っていた。その笑い声は耳障りなものでしかなかったが、そいつが楽しんでいることは十分に伝わってくる。

「オマエモ、ツレテイク」

聞き取りづらい声と発音で、" それ " は言った。

「ワレラ、ヒトノオンナ、ホシイ。ツレテイク」

ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ。笑う魔物に激しい嫌悪感を覚えた。ツレテイク、連れていくだと……?

「行かない」

言葉は力になると、オルフェは言った。そこに言霊が宿れば、それは口にした瞬間に真実の誓いとなるのだと。ならば。

「わたしはお前とは行かない。わたしの望む場所へ望む物を探しに行く。お前となど、決して行かない!」

言葉よ、力となれ。

わたしには力がない。魔物と戦う術など知らない。けれど、想いは。心だけは、決して負けはせん──。

叫んだディナティアに一つ目の魔性はうっそりと目を細める。そうして彼女を包む白い光の中へ手を差し入れた。否、それはディナティアを引き寄せ 、 捕らえるために伸ばされたもの。

「来るな!」

彼女の叫びに呼応するように守りの光は輝きを増し、青白い閃光を伴って魔性の腕を包み込む。ばちばちと反発しあう音が響き、次第に大きくなった。

銀の目を細めたまま、さして苦しむ様子も見せずなおも近づこうとする相手に、ディナティアは腰に手を伸ばす。その時。

「彼女に近づくな……!」

後方から何かが放たれた気配がした。目には見えないが、大きな威力を秘めたモノ。それがディナティアの脇を抜け、一つ目の魔物にぶち当たる。ぐらり、とその体が揺れて、光の中に差し込まれた腕が抜けた。

「こっちへ、早く……!」

切羽詰まった叫びに、ディナティアは身を翻しオルフェのもとへ駆け戻る。先ほど吹き飛ばされたのが相当堪えたらしく、オルフェはまともに立っているのも辛い様子だった。木を背にし、体重を預けてなんとか体を支えている。思わず手を伸ばして支えになろうとしたディナティアだが、オルフェの苦しげな呻きにはっとして身を離した。そのまま数歩、離れる。

「やっぱりそいつは俺を入れてはくれないんだね」

すまん、とうなだれる彼女にオルフェはしょうがないよね、と苦笑した。

ディナティアを守る白い光。それは敵も味方も関係なく、彼女から排除しようとするらしい。一度ばかりでなく二度までも拒絶を食らうというのは、少しショックなことではあるが。

「だったらしっかり守ってもらいましょ。……あいつはかなり、手強いから」

体を支えるのすらやっとの様子で、それでもオルフェはぽきぽきと指を鳴らして、不敵に笑った。

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