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ヴェイルの守護者

ニ章

「いいですか、くれぐれも無茶はしないでくださいね。……といってももうすでに十分無茶苦茶なんですが」

ため息混じりにそう言って、青年はディナティアを送り出した。

タリアをさらったのが恐らく魔物であること、そのためガルス海で情報を収集しようとしていること……力になるといった青年は、この事実を聞くとさすがに難色を示した。けれどもそれでも頑として譲らなかったから。

『本当にそれだけの覚悟はありますか。辛い旅に、なりますよ?』

ため息混じりに、それでも案じてくれて。

『わたしが一緒に行ければよいのですが……もっと状況が悪くなりそうですし……しかしやはりあなた一人というのは……』

秀麗な顔を曇らせて悩む姿に、ディナティアは不思議な感情を覚えずにいられない。彼はなぜ、ここまで肩入れしてくれるのだろう。出あってわずか数刻、交わした言葉も決して多くはない、まったく他人の自分に。なぜ。

『せめて、これがあなたの守りとなりますように……』

そう言って差し出された一振りの剣。

『これは?』

『わたしが鍛えて念を込めた剣です。別に誰かに使ってもらおうと意図したわけではないのですが……もしよろしければ』

勧められて手にとってみる。見た目から推測して、ずっしりと重いのかと思いきや、嘘のように軽い。羽でもついているのではないかと思うほどだ。

だが、しっくりと手になじむ。まるでずっと昔からふるってきた剣のように。

『……術師というのは薬師だけでなく鍛冶師も兼ねるのか。大変だな』

ディナティアのつぶやきにオフィルは困ったように微笑んだ。

『気に入った。使ってもいいのか?』

目を輝かせてそう言うと、オフィルはおかしそうに笑いながら、どうぞ、と言った。そうしてその剣は今、ディナティアの腰にある。

「本当に……ありがとう」

父王に内緒で行動する自分へのさらなる後方支援をしてくれるという彼に、ディナティアは深々と頭を下げた。出会ってから今までの感謝もこめて。

……本当は父王に知られても別に構わなかったのだ。それで勘当されるというならそれもいい、罪に問うというなら問えばいい。なんら未練はない。けれど。自分のためにそんなことになったと知ったら彼女は……タリアはきっと、悲しむ。

だからオフィルと約束した。

ひと月の間にタリアの行方に関する手がかりが見つからなければあきらめる、と。

ガルス海までの道のりは女の足で約十日。ひと月、という期限が短いのか長いのか、ディナティアにはいまひとつ把握できないのだが、オフィルはそれが限界だと言った。

それ以上はごまかせない、と。

ディナティアの不在を、彼はどういう方法を使ってかごまかすつもりでいるらしい。

だがそれも持ってひと月。

それがディナティアに与えられた猶予だった。


そういうわけで彼女は現在王都にいる。

王都ヴェイル・ディラン。この都市の北西の方向にガルスの海は、ある。

けれど分かっているのはただそれだけ──ガルスの海まで直接移動させてくれ、とオフィルに頼んで見たところ一蹴された。

『なんのためにあなたは行くのです?』

甘えが許されると思っているのならあきらめてしまえ──穏やかな表情のまま告げられた言葉に、ディナティアは返す言葉を持たなかった。

『それから忠告しておきますが、ディランからガルスに通ずる道は全部で三つ、道と呼べないルートも含めるなら五つ、そのすべてに魔性の気配が濃厚です。お気をつけて』

……優しいんだか冷たいんだか分からない奴だな、あいつは。

終始笑顔を崩さなかったオフィルの言葉を思い出しつつ、ディナティアはため息をついた。

地図も案内人も持たないまま、彼女はすでに立ち往生している。まるで世間というものを知らない自分が歯痒いどころか、腹立たしい。

けれど、いったいどこから手をつければいいというのか。

「まずはその服をなんとかしたほうがいいんじゃない?」

難しい顔でうなっている彼女にそう声をかけたのは、ディナティアと同じくらいの年頃の少年である。よく日に焼けた小麦色の肌に漆黒の髪──癖があるのかくりくりと巻きがかかっている──、そして紅の瞳。

「魔……っ!」

思わず大声をあげかけたディナティアの口を、少年は慌てて両手でふさいだ。

「冗談じゃないよ、誰が魔性だって? 確かにこんな目の色の人間はあんまりいないけど、だからって決めつけられるのは面白くないな。僕はれっきとした人間で、それ以外の何者でもないんだから」

早口でそうまくしたてる……耳元で。

落ち着きを取り戻してディナティアはこっくりとうなずいた。それを見て少年は口に当てた手を放す。

「悪かった、勘違いして。だが、お前はいったい誰なんだ? わたしを知っているのか?」

尋ねた少女を彼は少しびっくりしたような顔で見た。けれどすぐに人懐こい笑顔を浮かべる。

「僕はリファス。あなたのことは知ってるよ、お姫様」

茶目っ気たっぷりの口調でそう言われ、ディナティアは驚きつつも渋面になる。

「そういう言い方はよせ。わたしはその称号が大嫌いだ」

言ったら、リファスと名乗った少年は肩をすくめてみせた。

「オフィル様にはなにも言わなかったくせに」

「あいつは城の人間だからいいんだ。…………あ?」

言い返して、おや、と思う。

「お前、今、オフィルって言ったか?」

「言ったよ」

「あいつを知ってるのか?」

ディナティアの問いにリファスは呆れたようにため息をついた。

「もしかして鈍いんじゃないの、お姫様? オフィル様の言ってたことの、いったい何を聞いてたわけ? 普通ならとっくに分かってるよ、僕が誰かってことくらい」

なんだかひどく馬鹿にされているような気がするのは……多分、気のせいではないだろう。

「あのな……」

「保護者だよ、僕は」

言いかけた言葉にリファスの声が重なった。

保護者……?

訝しげに眉をひそめる。

そう言えば、あの青年が旅の連れをつけるとかつけないとか言っていたような気がする。本来なら自分が共に行くのが最善なのだが、こちらにも細工が必要だから、とかなんとか。

だから代理の人をつけよう……そう、言っていた……ような気もする、そう言えば。

もしかして、では、この少年がそうだというのだろうか?

ご冗談、の世界である。どう考えても足手まといにしかなりそうにない。

しかも、保護者だと?

まったくどういうつもりでいるのやら。何が悲しくて同年代の少年に保護者面されなければならないのか。

「……わたしの方が、年上だと思うが……?」

遠まわしに抗議の言葉を口にして、ディナティアは顔を少ししかめる。

だが、少年はそんなことにはまるで頓着しなかった。

「やだな、同い年だよ。お姫様、今十五歳だよね? 僕もそうだもん」

そうだもんじゃないだろう、と思う。そういう問題では、ない。

「はっきり言おう。わたしにはお前のような保護者は不要だ」

いささか厳しすぎるか、とも思ったが、これくらいはっきり言わないと分かってくれそうにない相手だという気がしたので、彼女は冷たい声でそう言った。そのまま、少年の脇をすりぬけて、すたすたと歩き出す──そうしようとする。

ちょっと待ってよ、と言いながらリファスが腕をつかんだのはそのときのことだった。

「それって無謀だよ、無茶苦茶だよ。あなたみたいに大切に大切に育てられた人は、こんな街中じゃまるで赤ん坊と同じなんだから。まぁ、いかにもって連中に目をつけられてつかまって売り飛ばされ、挙句に奴隷にでもされるのを望んでるってのなら止めはしないけど」

物騒なことを平気で口にする。……わざと脅しているのだろうか。

いささか呆れて、ディナティアは目を丸くした。

「保護者ってのが気に入らないんなら、案内人でもいいよ。単なる同行者でもいいし。……気分はすっかり保護者だけどさ。ここで置いて行かれたら、あとでオフィル様に怒られるもん」

しゃあしゃあとそんなことを言ってリファスは無邪気に微笑む。

「なんなら恋人代わりでもいいけど? お姫様、そういう人、いたの? いなかったんならいい機会だし、雰囲気だけでも試してみる?」

悪乗りしてそんなことを言い出した少年を、ディナティアは呆れるのを通り越して憮然として見つめた。

「お前、わたしにけんかを売っているのか?」

さっきから聞いていれば、言いたい放題である。

なんだってあいつは、よりにもよってこんな訳の分からないふざけた奴をよこしたりしたんだ。

今はいない青年術師に向かい、心の中でそう愚痴って。

「言っておくがわたしは軟弱な男は嫌いだ。強くて頼れて信頼に値する人物でなければ心を預けようとは思わない。たとえ冗談でも、お断りだ」

冷ややかな声音で彼女は言い切った。

まったくこいつとはどうも肌が合わない。相性が悪いのだろうか。

そんなディナティアの心中などおかまいなく、当の本人はいたって呑気なものである。

今夜はどこそこの店でなんたらを食べてなんとかいう宿屋に泊まって風呂を使い、明日に備えてゆっくり寝ようっ!

……などと。

勝手に今後の計画など立てはじめていたり、した。

すこぶる楽しそうに考えを巡らせているその様子は、まるで幼児の反応のようで微笑みを誘う。

……だが。だがしかし、である。

「お前の分の食費は、誰が出すんだ?」

食費だけではない。宿代も然り、他の諸経費も然り。

手持ちが少ないわけではなかったが、いきなり増えた食客一人分をまかないきれるかどうかまでは、ちょっと自信がない。

……それにこいつは食いそうだ。

内心でうなる彼女に向け、リファスは飄々と答えた。

「お姫様に決まってんじゃない」

他に誰がいるのさ?

当然と言わんばかりの表情に、ディナティアは本気でオフィルを恨んだ。

ひょっとして嫌がらせなのだろうか、これは。

王族だからといって腐るほど金を持っているとでも思っているのか。だとすればそのすばらしすぎる誤解を、誰か解いてくれ、と結構切実に願ってしまう。

「でもとにかく、その服なんとかしてよ。上等過ぎて、さっきから目立ちまくってるの、わかんないかなぁ……」

ぶつぶつとリファスがぼやく。

ディナティアが現在身に着けているのは、オフィルに借りた絹の貫頭衣である──部屋を出たときのローブではさすがに身動きがとりづらいと思ったので着替えたのだ。もちろん、いくら細身であるといったってオフィルは男であるので、彼の衣服は少女のディナティアにはだぶだぶの代物であるのだが。それで彼女は豪奢な金糸で刺繍が施されたそれを、腰帯をうまく使って調節して着ているのだ。

だがそれは確かにリファスの言う通り、かなり人目をかういでたちだった。絹の服なんて、一介の者に目にすることすらないような、超高級品なのだから。

そんな簡単な事にも気づかなかったとはやはり街の雰囲気に呑まれていたか、とディナティアは少々反省する。市井を訪れることなんてついぞなかったものだから、つい興奮してしまった。

昨晩はオフィルが用意してくれた部屋で眠り、今朝は日の出と共に起きて支度をした。生まれてはじめての経験ばかりであった……なにもかもが。興奮するな、と言う方が無理である。

「なんとか、とは言っても……代わりの服なんてどうやって調達すればいいのだ? 言っておくが、城には戻れないぞ?」

困ったように尋ねるディナティアに、少年はああもうっ、と頭をかきむしった。

「城に戻ってどうするんだよ、戻って!? あそこに一般人が着るような、" 普通の " 服なんてあるわけないだろ? あのねぇ、服はね、買えばいいんだよ、お金で。分かった?」

なんでいちいちこんな当たり前のこと説明しなくちゃならないんだろうね?

じれったい、と顔にでかでか書いてある。

しゅんとしながら、ディナティアはまた首をかしげた。

「買う……? だが、仕立てあがるのを待っていたら、時間が足りなくなるじゃないか。わたしにそんな余裕はない」

与えられた時間には限りがある。それでなくとも、タリアの安否を思えば落ち着いてなどいられないというのに。

わざわざ服をあつらえるくらいなら、大勢の目にさらされながらでもこの派手な服のまま旅を始めることの方をディナティアは選びたかった。

本当に真剣にそう思っていた。

だが。

「仕立てる……? なに言ってんのさ、お姫様。これだからお金持ちってのは気がしれないね。僕はね、出来合いの服を買おうって言ったの。それも、できれば新しいのじゃなくて古着屋で売ってる奴。それなら安くてすぐに手に入るから……」

盛大なため息をぶちかましたあとでリファスはそう言ったのである。

「古着………………」

複雑な表情でディナティアはつぶやいた。

なんといっても王族の姫君である。小さな頃から、それこそ生まれた瞬間から身に着けていたのは最高級の品々ばかり──物心がついてからは、布地から選んであつらえた、そんなものばかり。

すでにできあがっっている服を買うだなんてことは経験がない。それも、誰か知らない他人の着たそれを、だなんて。

「古着ったって、綺麗なもんだよ? 全然問題ないと思うけど?」

気の進まない表情のディナティアにリファスはそう言うけれど。

……別に目立ってはいけないという法はないわけだし、けれど自分が城を抜け出していることはまだ秘密だから目立たないに越したことはないのだが、しかしでもだけど。

ためらいを隠すことはできない。

うなずけないでいる少女に、リファスは苛々したような声を投げた。

「あのねぇ、悩んでる暇なんかないんじゃないの? 誰か助けたい人がいるんだよね? だったらこの際、迷ってなんかいられないでしょ? そんなピラピラした服で、それでも旅が出きるなんて思ったら大間違いだよ。野盗の類に襲ってくださいって言ってるようなものだからね。本当に本気で自分のしようとしてることやり抜くつもりなら、誇りなんて捨ててよ。王族なんてこと忘れてそれだけ考えて。甘えるつもりなら、今すぐに城に帰るんだね」

容赦のない台詞だった。

一瞬目を瞠ったディナティアは、けれどすぐにうなずいた……しごくあっさりと、そして素直に。

「悪かった。お前の言う通りにしよう、リファス。タリアを助ける、そのことだけを考える……甘えたり、しない」

今、一番大切なことを忘れていた。

自分がなぜ、ここにいるのかを。

それを思い出させてくれたリファスの言葉に、ディナティアは怒るより傷つくよりもむしろ、感謝していたのだ。

甘えたりなんか、しない。

自分は決めたのだから。タリアを救い出すと。

そのためにはどんなことだってする、と。だから。

「分かればいいんだよ、分かれば。じゃあ、行こうかお姫様?」

にっこり微笑んで少年が告げる。

相変わらず「お姫様」なのは気に入らなかったが、その呼び方がほんの少し優しくなったような気がしていた。