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君思う蒼の雪の夜深く

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「…やっぱり、変、だ」

ぽつり、つぶやいて。

エルアファンは、ばふ、と寝台にその身を投げ出した。藍色の瞳はじっと天井を見上げ───見つめ。

自身の上にかざした両手の指先を、眺めている。

透き通るように白い……そう形容されることの多い己の手の美しさに酔っていたわけでは決してなく、かといってそこに何か面白い文様が描かれているわけでもなく。

注視する理由はもっともっと別のこと───。

けれど、ややあってからエルアファンが口にした言葉は、まるきり違うことだった。

「………爪の手入れ、しなくちゃ………」

のそり、起き上がって化粧台へと歩く。緩慢な動作で引き戸を開こうとしたとき、部屋の扉を叩く音が小さく聞こえた。

誰何に応じて顔を見せたのは、赤毛おさげにそばかすの、エルアファンより二つばかり年下の少女だった。名を、リラカと言う。普段エルアファンの身の周りの世話をしている少女だが、大抵昼過ぎには自宅に戻っているはずだ。病弱な母と育ち盛りの弟二人の世話をしに。

なのに今日は一体どうしたことなのだろう。

訝る表情に気づかないのか、リラカはいつものようにふんわり微笑んで、
「お客様ですよ」
と知らせた。

「客……?」

エルアファンはさらに腑に落ちない表情になり、眉をひそめる。

ファーランスと違い、自分を訪ねる者は少ない。それにはエルアファンの成したこと、またそれによる評判も大きく貢献しているには違いなかったが、それだけでないことは知っていた。

「誰……?」

尋ねたときには、だからもうその答えはほとんどわかっていたのだけれど。

…ああ、体が重い。

嘆息は、リラカには届かない。

「大神官様のお使いの方ですって。神殿へおいでになるようことづかっていらしたそうで……馬車のお迎えつきですよ」

ほがらかに笑うリラカを、けれどこのときエルアファンは恨んだ。

……彼女に罪はないと、痛いほどにわかっていても、そうせずにいられなかった。

「五分で行くと伝えて。…手伝いは、いいよ」

部屋着の帯をしゅるりと解きながら、着替えを手伝おうと近づく少女に背を向け、告げる。はい、と素直にうなずき出て行くその背へ、ため息のように問うた。

「……なんで今日は帰ってないの」

少女の立ち止まる気配…表情はわからない。顔を半分だけ振り向ける。

「今日は上の弟が休みなので、できることはしておくと」

孝行な弟がかわいくてしょうがないのだろう、嬉しそうにリラカは答えた。

「そう……」

振り向けた顔を戻しながら、エルアファンは抑えきれない。───口元に、残酷な笑みが浮かぶのを。

「いい子だね」

視界の端に、満面の笑顔がちら、と映る。その笑顔にほんの少し、胸が痛んだ。

リラカが退出し、静かに扉が閉まる。その音を聞きながら、エルアファンは繰り返した。

「ほんとに、いい子だったね……」


ファーランスが屋敷に戻ったのは、ちょうどリラカが泣き顔で玄関を飛び出してきた時のことだった。

いつも穏やかに笑っている彼女に、けれど今その面影はない。青ざめ、ひきつり、涙でぼろぼろになりながら、彼女は震えていた。

「リラカ…?なにかあったのか?」

会釈一つで駆け去ろうとする彼女の腕を無理やり捕まえ、ファーランスは尋ねた。掴まれた腕を振りほどこうともがきながら、リラカは縋るように彼を見る。

「弟が……屋根から落ちて大怪我を……命が、危ないと……!!」

必死の叫びにファーランスは息を飲んだ。自分から逃れようとあがく少女は、いつのまにか邪魔なはずの腕にしがみついていた。

強く、強く。

「助けて……」

消え入るような声。絞り出す、願い。

「助けてください、ファーランス様……!!」

声は。

ファーランスの中で、違う音に響く。

───助けてください、イル・ギリウラナ……!!

それが真実心の底からの願いだと、叫びだと分かるから……胸が、痛い。

けれど。

その痛みにはまだ気づかぬふりをして、ファーランスはリラカの手を取った。

「わかった。一緒に行く」

その言葉の重さを、嫌というほどに感じながら……。

それでも彼は、そう言ったのだ───。

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