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Irreglar Mind

第6章 樹の彼女 - 2 -

高江の家はごく普通のマンションで、俺はちょっと意外だった。

だって高江ってなんか、高級感があるっていうか……なんかそんな印象があったからさ。

両親と妹が一人の四人家族で、5LDKのマンションに住んでる。

ごくごく普通の、家庭。

俺の家からバスで二つ目の停留所の近くにあって、割と近い。

高江って、普通の高校生だったんだなぁ。ちょっと人より賢いだけで。いや、かなり、か。

高江の部屋は8畳の洋間で、モノトーンの家具で統一されていた。

モノトーンっていうか、黒が多い。

ベッドもチェストも机も、クローゼットも。でも、暗い感じはしなかった。

壁にきれいなジグソーパズル。

なんだか、「らしい」部屋だよな。

俺がきょろきょろと興味深そうに部屋を見まわしているのを見て、高江は苦笑し、これまた黒の本棚から一冊のアルバムを取り出した。

そこに高江の妹が紅茶とクッキーを運んできて、俺にチラッと視線を向けた。

「妹の亜弓だ。おれが人を連れてくるのは珍しいから、びっくりしてんだろ」

高江にそう言われて、亜弓ちゃんはちょっと赤くなった。

へぇ、かわいい。

高江ほどじゃないけど、美人の範疇に入るよな、十分。あんまり似てないけど。

俺はにっこり笑って、自己紹介をした。

「白山瑠希っていいます。紅茶、どうもありがと」

すると彼女はかぁっと真っ赤になってうつむいたんだ。

「瑠希……っておっしゃるんですか。素敵なお名前ですね」

あ?

思いがけない反応に、俺は目を丸くしてしまった。

だって今まで笑われたことはあっても、こんなに素直で気持ちのいい反応されたのってなかったもん。

ああ、亜弓ちゃんっていい子だなっ。

そう思って、思わずにこにこしていたら、高江がぽつりと言った。

「亜弓、そいつは女だぞ」

……え?

瞬間、俺は思わずかたまり、そんな俺の前で亜弓ちゃんは目をまんまるくして俺を見つめ、次いで兄の方を向いて口をパクパクさせた。

おい、ちょっと待て。

もしかして亜弓ちゃん、俺のこと男だと思ってたのかよ。

「まぁ、間違ってもしょうがないけどな、こいつの場合」

むっ。

「高江、そりゃ俺に失礼ってもんだろ」

だけど高江は笑って言ったんだ。

「お前はお前のままが一番いいな。そのままでいい」

そのときの高江の表情はすごく優しくて、俺はびっくりした。

それから、なんだかすごく嬉しかった。

高江が俺を認めてくれているのを感じて、本当に嬉しかったんだ。

亜弓ちゃんは真っ赤になって、俺に何度もごめんなさいを言った後、部屋を出て行った。

高江はチョコチップクッキーを一枚くわえると、さっき取り出したアルバムをぺらぺらとめくって見、とあるページを開くと一枚の写真を指差して俺に見せた。

その写真には二人の女の子が写っていた。

両方ともすごくきれいな人たちだった。

右側でにっこり笑っているのは、薄い茶色のふわふわの髪をした、色白の人。

その隣りの人は、高江にすごくよく似ていた。

黒い瞳をまっすぐに向けた、意思の強そうな人。

高江の、お姉さん……?

もしかしてこの人が、樹の彼女なんだろうか。

高江によく似た、女の人……。

「ああ、そっちじゃない。その隣り。茶色い髪の人」

え、そうなのか。

俺は茶色い髪の人を見て、思わずため息をついた。

綺麗だなぁ、やっぱり。

ありきたりな表現だけど……まるで天使みたいに綺麗な微笑。

「樹の、姉さんだ」

なん……だって?

「高江っ?姉さんって実の?血がつながってる?」

高江は冷ややかにうなずいた、あっさりと。

「そう」

うっ、嘘だろっ?

だってそんなのって、信じられないよ。

実の姉が好き、だなんて……。

呆然とする俺の前で、高江はいきなりにやっと笑ってみせた。

「嘘だよ」

………………なんちゅう嘘をつくんじゃっ!

つくんならもっとましな嘘を……じゃなくてっ。

「高江!」

思わず怒鳴りつけたら、高江はくすくす笑って言った。

「残念だったな。血がつながってりゃ、望みはあったのにな」

その言い方は少し自嘲的で、俺は怒るより先にびっくりしてしまった。

何だよ、今のって……。

まるで自分がそう思ってるみたいな言い方だぜ、高江。

それで俺は思ったんだ。

もしかしたら高江は、この写真の女の人が好きなのかもしれないな、って。

だけど彼女は樹の恋人だから、その気持ちを隠してるのかもしれない。

「でも姉さんだってのは本当だ。樹は施設から引き取られた養子で、だからその人とは血がつながっていない」

え、それじゃ樹って孤児だったのか……。

「あいつは昔から前向きでまっすぐで、馬鹿みたいに一途だ。その人のことももう十年も想いつづけて大切にしてる」

もう、十年も……。

俺はこの人が相手なら、それも納得できるような気がした。

だって本当に綺麗なんだ。目が澄んでて、写真を見ただけで、その心の綺麗さまで見えるくらいの。

うまい言い方なんてわからないけど……でもそんな感じの人なんだよ。

かなわないって思った。

「名前は?この人の名前」

尋ねたら、高江はアルバムのポケットから写真を抜き出して、裏返した。

「紗夜と」

そうボールペンで走り書きしてあって、俺はもう一度写真を表に返した。

「中原、紗夜?」

確認するために高江に問うと、彼はうなずいた。

紗夜さん、かぁ……。

綺麗な人。……おしゃれな名前だしな。でもってそれが似合ってるし。

俺なんか、瑠希って名前が一人歩きしてるもんな。

「この隣りの人は?」

気になって、高江によく似た方の人を指して尋ねたら、高江はちょっと顔をこわばらせて、言いよどんだ。

けれどそれは一瞬で、元の表情に戻ると、言ったんだ。

「高江弓緒。おれの双児の姉だ」

ああ、やっぱり。

双児か……どうりで、似てるはずだよな。

そう納得してたら、俺の心を見透かしたかのように、高江が言った。

「この場合、双児だっていうのは関係ない。二卵性だからな。似てるのは、単なる遺伝だ。低次元なことで感心するな」

いいじゃんか、別に。

「弓緒さんって、紗夜さんと親しいの?」

一緒に写真に写ってたり、「紗夜と」って書くくらいだから、そうなんだろうなぁ、やっぱり。

「そうだな、親しかった」

ほらな、やっぱり…………って、え?

「高江、親しかった、って言った?……今は?」

その微妙な言いまわしにひっかかりを覚えて、俺は高江に尋ねた。

すると彼は言ったんだ。

「弓緒は、死んだんだ。去年の夏、交通事故で」

げっ。

俺、もしかしてすごく失礼なことを聞いたんじゃ……。

「そんな顔をするな。おれは平気だ」

俺はよほど申し訳なさそうな顔をしていたんだろう、高江は笑って俺の頭を軽くたたいた。

なんか俺、高江にこれやられてばっかりだよな。

子供扱い、だぜ……別にいいんだけどさ。

「弓緒は紗夜と一つ違いだったけど、学年は同じだったんだ。紗夜は体が弱くて一年留年してたから。だからよく遊んだ、樹やおれと、四人で。弓緒も紗夜も、樹に惚れてた」

淡々とした口調で高江が続けて、俺はそのとき、はっと気がついた。

前に高江が言っていたことを思い出して。

あいつみたいになってほしくない、って言ったんだ。

俺に、あんなふうになってほしくない……って。

それってもしかしたら、弓緒さんのことかもしれない。

いつも紗夜さんと一緒にいて、そのそばで樹を見ていた人。

樹のことが好きだった人。

写真を見つめて黙っていたら、高江がため息のように吐き出した。

「そうだよ」

俺の無言の問いかけを、彼はしっかり聞いてしまったみたいだった。

その様子はひどく辛そうに見えて、俺はちょっと後悔した。

写真を見せてもらったことに対して。

高江に辛い思いをさせてしまったことを、後悔した。

「あいつはすごい人だったよ。おれがはじめて尊敬した人だ。頭がいいとか、スポーツができるとか、そういうんじゃない。人の心に入るのがうまくて、弓緒がいるだけで空気が和んだ。人に優しさを与えられる強さを持った人だった」

そういって高江は視線をちょっと動かし、空中を見据えて、続けた。

「樹に会って、しばらくしてあいつに惚れたことに気づいたとおれに相談してきた。だけどそのときにはすでに樹は紗夜に夢中で、弓緒の入り込む余地なんかなかったんだ。弓緒は苦しんでた、とてもね。樹が好きだって気持ちは大きくなるばかりなのに、言えないんだ、本人には。紗夜を傷つけたくなかったし、そんなことで二人とぎくしゃくするのが怖くてさ、ずっと自分の気持ちを押し殺してたせいで、ノイローゼになりかけた」

う、ハード……。

「日に日にやせていって、目から生気が消えて、笑わなくなった。見てる方が辛くて、おれはなんとかしてやりたかったけれど、何もできないうちに、死んだんだ」

高江は自分を責めてるみたいだった。すごく辛そうで、俺は胸が痛かった。

何も言えなくて、そんな自分が悔しくて。

俺はただ、高江を見つめていた。

その日から俺は、紗夜さんに会いたいと思うようになった。

高江が尊敬していた弓緒さんよりも紗夜さんを選んだ樹。

十年もずっと彼女を見つめてきた、彼。

写真じゃなくて、生きて動く彼女に会いたいと思ったんだ。

樹を忘れたいと思った。

高江にあんな辛い顔をさせたくなかった。

あの日、高江は言ったんだ。

「おれにはお前が弓緒と同じに見えてるのかもしれない。お前を弓緒の身代わりにして、それを守ることで自分を救おうとしているのかもな」

それならそれでもいいと思う。あんな高江を見たら、放っておけない。

身代わりでもいい。

俺はこの恋をあきらめて、高江を助けてやりたい。

弓緒さんを救えなかったことを悔やみつづけているあいつを、俺が救ってやりたい。

だから紗夜さんに会いたかった。

会ったらあきらめられると思った。

樹と紗夜さんがどれだけ強い絆で結ばれているかを見れば、この恋も失せるんじゃないかと思ったんだ。
恋なんかしないと誓った俺だから、それくらいなんてことはない。

高江を傷つけるくらいなら、あきらめた方がいい。

あきらめる……違うな、そうじゃない。

俺は最初から期待なんてしてなかった、樹とどうにかなることなんて。

だから、この場合は忘れる、というんだ。

樹に対するこの気持ちを、忘れるんだ。

そのために、紗夜さんに会いたかった。