暁の空
暗い空を、じっと見ていた。ただ、待っていた。
ここに花一輪あれば。花占いができるのに。…そんなことを考える。
来る、来ない、来る、来ない、来る、来ない───。
見えない花の花びらをちぎっては捨て、ちぎっては捨て。もう何輪散らせたことだろう。何も無い宙で不自然な仕草をする自分は、誰か他の人が見たらきっと気味が悪いだろうな、とアルテナは思った。
見つめるは、東の空。
「姉上」
控えめに呼ぶ声がして、彼女は振り返る。アルテナがいる見張りの塔には、今他に誰もいないかと思っていた。
「リーフ」
まだ呼びなれない弟の名前を、彼女は小さく口の中で転がす。違和感があった。屈託の無い笑みを浮かべるこの少年にどう接すればいいのか、アルテナはわからない。いままで、下の兄弟などいなかったのだから。ただ、兄がいただけ。
「心配しなくても、なにも異常はないわ」
言外にお戻りなさいという含みを持たせた姉に、リーフはいいえとかぶりを振る。
「心配なのは敵襲ではなくて。……姉上のお体が」
「わたしの?」
アルテナは訝った。体力には自信がある。そのように鍛えてきた。けれど。
「三日も続けて寝ずに見張りをつとめていれば、体がまいるに決まっています。代わりますから少し眠ってください。……どうか」
三日も?
リーフの言葉にアルテナは驚いた。ここにのぼってそんなに経つのか。そういえばすでに2度、明けゆく空をここから眺めた気もする。
「…あと、一日だけ」
そっと、囁くようにアルテナは答えた。
「今日だけ、ここにいさせて。それが終われば、言われるままにいくらでも寝るから」
リーフが困ったようにため息をつく。少し黙り込んで、思い切ったように尋ねた。
「誰を、お待ちなのですか?」
わかっているくせに、とアルテナは恨めしく思った。知っていて、尋ねるのだ。それは諦めさせるためだろうか。この現実を認めさせようというつもりだろうか。
「約束したの」
ぽつりとアルテナは呟く。
「約束したの、あの日…別れる前に」
聖戦と呼ばれた戦いの後。ほんの少しの期間ではあったが、同じ解放軍としてくつわを並べて戦った兄は、その後姿を消した。その直前に、彼は言い置いていたのだ。いつかアルテナがトラキアに戻ったら、そのときには。きっと駆けつけて力を貸すから、と。
その約束を信じて、彼女は待っている。トラキアに戻って三日目の朝を迎えようとしながら。
「…姉上が信を置かれる方ならきっと約束を守られると、僕も思います。でも、おいでになったらいくらでも一緒にいられるじゃないですか。待ちつかれて体を壊してしまったら、元も子もないですよ?」
諭すような口調に、アルテナは小さく笑った。リーフが拗ねたような顔を見せる。それがおかしくてまた笑った。
「それでも、じっとしていられないの。だから、今日だけ。今日だけはここにいさせて。……あの人が来たら、一番に迎えたいの」
口調は柔らかだが、頑として譲らない姉に降参して、リーフは静かに塔を降りていった。地平に鮮やかな朱の色が射す。夜が明けたのだ。
ばさり。かすかな羽ばたきの音が聞こえたきがして、アルテナははっと目を開けた。うっかりと意識を飛ばしてしまったらしい。見張り失格だ、と内心で反省しながら目を凝らす。夢?単なる聞き間違いだろうか?それとも。
「……っ……アリオーン…」
聞き間違いではなかった。夢でもなかった。望んだがゆえに見た幻でも、ない。力強い羽ばたきをもって、その背に愛しい人を乗せたドラゴンが近づいてくる。暁の空を、アリオーンは一直線にやってきた。アルテナの元へ。
「───待たせた」
塔の上に降り立ち、アリオーンは見張り台のアルテナを見上げる。夢中でかぶりを振って、彼女はそこから飛び降りた。兄と呼んだ人の腕の中へ。
「おかえりなさい……!」
かつて父と呼んだ人の。かつて、兄と呼んだ人の。彼らの愛した大地が眼下に広がっている。決して肥沃ではない。けれど、希望をそこに秘めている。取り出すのは、自分たちの仕事だ。
茜色に輝く空を見上げ、その下に広がる大地を見下ろし。アルテナは腕の中の青年をしっかりと抱きしめた。
「これからは、ずっとお前のそばにいると約束する。……だから、泣くな」
アリオーンがアルテナの濡れた頬を拭う。うなずきながらも、彼女は涙を止めることができなかった。強く強く抱きしめる。同じだけ、抱きしめられる。
暁の空。
その夜明けが、二人にとって真の戦いの終わりだった。
- fin -
FE聖戦誕生祭18作目。カップルというには弱い二人。見守るリーフが一番年寄りじみていたり。全然関係ないけど、アリオーンはバンダナが似合いそうだなと思います。
2003年5月14日 凪沢 夕禾