そんな君を見てたから
「ラナさん、あの……」
おどおどと話し掛けてくる女の子を、わたしはきっと睨みつけた。……ううん、ほんとは睨みつけようなんて思ってなかったのに。なのに、思わず。
びく、と彼女が怯えた顔をする。それがなぜだか、またわたしの神経を逆撫でした。
「なに、ユリア」
多分わたしの声はとても冷たく聞こえたんじゃないだろうか。……ほんとに、そんなつもりはないのに。
なのに、彼女───ユリアを見てると無意識のうちに、態度が尖る。言葉が尖る。心が尖ってしょうがない。
「あの、あの……セリス様がお呼びで」
ちっちゃな声でびくびくとユリアが答えた。肩を縮こまらせてうつむく彼女に、わたしはちょっとした罪悪感に苛まれる。
ああもう。苛々する。……彼女が来るまで、こんなことなかったのに。
「わかった、行くわ」
答えてさっさと立ち去ろうとしたわたしの腕を、ユリアがはっしと掴んだ。ぎょっとしてわたしは身を引く。それでバランスを崩したのか、ユリアの細っこい体がぐらりと揺れて彼女は膝から地面に倒れこんだ。
「……っ」
地面についた手の平を擦ってしまったらしく、彼女のやわな肌からじわりと血が滲む。痛みに顔をしかめるユリア。
「ユリア、ライブ……」
ライブをかけようか、とそう言おうとしたとき。
「ユリアっ?怪我したのっ?」
駆け寄ってきた影があった。青い髪の貴公子。…セリス様。
「大丈夫です…。セリス様、なぜここへ……?」
「ユリアに、伝え忘れたことがあったから……。ついでに、ラナにも会って行こうと思って追いかけてきたんだ」
かがみこみ、ユリアの手の怪我の具合を丹念に調べるセリス様。ひどく気遣わしげな様子で、大切に大切に彼女を扱うセリス様。
二人の様子を見ているうちに、わたしはいてもたってもいられない気持ちになって、じりじりと後ずさりした。
「ラナ、ライブを……あれっ?ラナっ?」
セリス様の声が追いかけてくる。でもそんなの知らない。知らない……!!
耳にふたをしながら、わたしは全速力で、逃げた。
はあっはあっはあっ………。
息が出来なくなるほど必死に走って、気がついたら森にいた。どれだけの距離を来てしまったんだろうとふと不安になって振り返ってみたけれど、城はすぐそばだった。……普段鍛えていない僧侶が頑張ってみたって、大した距離走れないのは当たり前か。
森は静かで、自分の荒い呼吸の音がずいぶん大きく聞こえる。鳥のさえずりや、何の動物かわからないけれど何か動物の鳴く声。地面には小さな足跡が幾種類か。
木漏れ陽がきらきらと光って、とても綺麗だ。……今のわたしには、まるで似つかわしくない場所だと、思った。
それでもすぐに移動する気力も体力もなかったから、近くの木の根元にずるずると座り込む。馬鹿なことをした、と少しだけ後悔していた。
「ラナ?」
よく知った声に名を呼ばれたのはそのときのこと。びっくりしてわたしはきょろきょろとあたりを見回した。そして少し先の木陰に見える人影を見つける。
「スカサハ?」
さくさく、と下草を踏み分けて彼が近づいてくる。よく日に焼けた精悍な顔に汗が光っていた。
「珍しいね、こんなところまで。どうしたの」
少し不思議そうな顔をして尋ねるスカサハに、わたしはうつむいて黙り込んだ。だって、なんて答えればいいというのだろう。彼にわたしを困らせるつもりなんかないことは、よくわかっているんだけれど。でも。
「……まぁ、いいか。散歩に理由なんか、いらないもんな」
わたしの沈黙をどう解釈したのか、そんな風に言うと彼は隣りにどさりと腰を降ろした。ほんのかすかに漂った血の匂いにわたしははっと緊張する。
「スカサハ、怪我してるの?」
思わずライブの杖を握り締めて尋ねると、彼は少し困ったような顔で苦笑した。
「ちょっとかすっただけだよ。そんなに鬼気迫る顔でライブの杖突きつけるなよ」
まったく心配性だなぁ、とスカサハはわたしのことを笑う。呆れているのにとても優しくて、なんだかわたしは泣き出したいような気持ちに駆られた。
でも、本当に泣くつもりなんて、なかったのに。
「ラナ?どうした?」
びっくり顔でスカサハが顔をのぞきこむ。慌てて盛り上がった涙を拭った。
「な、なんでもないよ」
ふるふると首を横に振ったけれど。伊達に幼馴染みをやっているわけではないだけあって、スカサハは目ざとい。
「また何か抱え込んでるんだろ」
呆れたふうにそんなことを言う。でも、言い方は優しいんだ。不思議な人。生まれたときからずっと一緒にいるけれど、ずっと身近な人だけど、時折見せるこんな不思議な優しさに、わたしはいつも戸惑う。
そうして戸惑いながら、不思議に甘えてしまうんだ。
「セリス様がユリアに優しいの」
「うん?」
「セリス様だけじゃないわ、みんなユリアに優しいの」
「みんな優しい人だからな」
「でもなんだか優しすぎるわ」
「ラナにだって優しいさ」
「そうだけど、でも違うもの。ユリアはなんだか特別なの。……セリス様の、特別なの……」
「悔しいの?寂しいの?」
「え?」
問われて、わたしは自分で自分に首を傾げた。悔しい?寂しい?
そんなふうに自分の心を考えたことはなかった。ただただいらだたしくて。ユリアがそばにくると心に波が立った。セリス様とユリアが仲良くしているのが嫌だった。だって、彼女が現れるまで、あそこはわたしの居場所だったんだもの。セリス様はみんなの大切な人で、…そしてわたしの大切な人だった。ただの幼馴染みでしか、なかったけれど、それでも。……それでも、みんな同じだったから。
でも。ユリアは違う。彼女は───特別だから。そうしてそれが当然のようにそこにいて、みんなも認めているから。
だから……そうか。だから、悔しかったんだ。寂しかったんだ。「ついでに」会いにきた、なんて。そんな風に言われるのがとてもとても悲しかったんだ。
「大丈夫だよ」
スカサハが言う。わたしは首を傾げた。大丈夫。……なにが?
「ラナを特別に思う奴だっているからさ」
思わずきょとんとした。まじまじとスカサハを見る。
「ラナは物足りないかもしれないけど……俺が、ちゃんと見てるからさ」
一瞬、それがどういう意味なのか、わからなかった。びっくりした。
「でも、でもわたし……わたしは、セリス様が……」
「知ってる。ずっと見てたから」
スカサハの目はまっすぐだ。まっすぐにわたしを見る。思わず恥ずかしくなってしまうくらいに。けれどとても綺麗で、目が離せない。
「セリス様を好きなラナも、ユリアに嫉妬してるラナも、そんな自分を嫌って落ち込んでるラナも…俺はずっと見てたから。これからも、見てるから」
だから寂しくなんかないよ、とスカサハは笑った。
強いな。強いな、スカサハは。わたしもそんな風に強くなれるだろうか。セリス様が他の人を見ていても。ユリアのそばで笑っていても。それでも。
「ありがとう」
うつむいてお礼を言うと、彼が困ったように笑った。直接顔を見て無くても、雰囲気でそれがわかった。
わたしたちは幼馴染み。空気の震えだけで伝わるものがあるほどに、近くて。
だからこそ。
彼の想いに応えられない自分が少し腹立たしかった。そんなことを言ったらきっと、スカサハは困るだろうけれど。もしかしらたら、怒るかもしれないけれども。
それでも、とてもとても大切な、人だから。
日暮れ前にわたしは城へ戻った。セリス様のご用事ってなんだったんだろうと気になったけれど、顔を合わせづらくて、みつからないようにこそこそと部屋へ向かう。まさか待ってたりしないよね、とどきどきしていたわたしは、部屋の前の人影にどきりとして立ち止まった。
振り返る、銀髪。
「ユリ、ア……?」
「おかえりなさい」
ぱっ、と花が咲くように。ユリアが微笑む。けれどわたしの顔は固くこわばってしまって、笑顔を返すことができなかった。
どうして、彼女がわたしの待ち伏せなんか…?
もしかして昼間のことでなにか言いにきたのんだろうか。思ったより怪我が深くて、それでなにか……。
「あの、ラナさん。わたし……あの、ごめんなさい」
いろいろと考えを巡らせるわたしの前で、けれどユリアはぺこりと頭を下げる。それは予想の範疇にはない出来事だったから、ひどくびっくりした。
なに?ユリアはなんで謝ってるんだろう?
訝しむわたしに、ユリアは寂しそうな瞳を向けて、言う。
「わたし、きっとラナさんに嫌な思いをさせてしまったんだと思って……。その。ごめんなさい、何がいけなかったのかわからないんだけど、きっと怒らせてしまったと思って、だから。だから…」
お昼に会ったときも、それを謝りたかったんです。と。そう、ユリアは言った。
わたしは呆れた。何がいけないのかわからないなら、自分に理由がないんだったら、謝ったりする必要ないじゃない。…なのに。
「……バカじゃないの」
思わずそう言ったら。ユリアは恥ずかしそうにえへへと笑った。……そんなだから、バカだって言うのよ。苛々するのよ。でも。でも、だからこそ。そういうところが憎めないんだってことも、わかってる。
「わたしこそ、ごめんね。怒ってたんじゃないの。…勝手にやきもち焼いていただけ」
今度はユリアが驚く番だった。軽く目を瞠り、わたしをまじまじと見る。
「やきもち……」
彼女は、どんな反応をするだろう。ご機嫌をとりにやってきたのに、実は相手は恋敵だったなんて知ったら。…といっても、ほとんど勝負は決まっているも同然なんだけれど。わたしだったら…多分きっと、謝り損だったと思うんだろうな。
けれど、ユリアは。
「どうして、ですか?」
また予想を裏切ってくれるわけで。いい加減おかしくなってきて、わたしは降参した。
「なんでもない。怒ってないから、ユリア。あなたのこと、嫌いじゃないから……仲良くしようね」
はい、とユリアが嬉しそうに微笑む。愛らしい、お姫様みたいな少女。わたしももう少しお母様に似ていればな、なんていまさらなことがちらりと頭をよぎった。
「ラナ!」
そんな時よく通る声が響いて。セリス様がなにか大きなものを持って走ってくる。そのタイミングのよさに、実はどこからかのぞいていたんじゃないかしらと疑わないでもなかったけれど、彼の底抜けの笑顔に吹き飛んでしまう。
「はい、これ」
手にしていた包みをぽんと渡されてわたしは面食らった。はい、と言われても。
「誕生日、おめでとう」
セリス様にそう言われて、それから一瞬考えて…あっと思い当たった。そうだ、今日。今日って。わたしの誕生日だったんだ……。
「おめでとうございます」
ユリアもにこにこと祝福してくれる。
「ありがとう、ございます……こんな、大きなもの……」
一体なんだろう、と思いながら贈り物を抱きしめていると、開けてみてよ、とセリス様が促した。その言葉に従って包みを開くと、中には。
「すごい……素敵……」
簡素ではあるけれどとても洒落っ気のある上品なドレスが、入っていた。新緑の色をもっと淡く淡くしたような色の。
「ユリアが縫ったんだよ」
セリス様の言葉に彼女を見ると、ユリアは恥ずかしそうに笑ってうつむいた。
「ありがとう…」
わたしが一人で拗ねて彼女を妬んでいる間に、彼女はわたしのためのドレスを縫ってくれていたなんて。なんだかとても……申し訳ないような気がする。
「セリス様もユリアも、本当にありがとう。二人からのプレゼント、大切にするね」
そう言ったわたしに、セリス様が違うよ、と頭を振る。
「二人からじゃないよ。これは、僕とスカサハからの贈り物」
スカサハ?
どうしてここに彼が出てくるんだろう?
少し混乱して動揺していると、セリス様が説明をくれた。
「もとはといえば、スカサハの案なんだ。ラナはプリーストだからっていつも質素な服しか着ないだろう?でもかわいいドレスだってきっと似合うって彼が言って、じゃあ誰かに頼んで作ってもらおうってことになったんだ。でも…頼もうにも、ラクチェはあの通り裁縫の腕はからっきしだし、フィーも苦手だっていうし……。そうしたらユリアが得意だっていうから、頼み込んだってわけ」
そう聞いても、まだわたしは少し混乱していた。だって。だって……。
「スカサハ、そんなことはひとっことも……」
「あれ、スカサハに会ったの?" 絶対一番におめでとうって言ってあげてくださいね "なんて言っておきながら、自分が先に会ってちゃ駄目じゃないか。ねぇ、ラナ?」
「あの…一番にって、それってセリス様が一番最初にわたしにおめでとうって言うってこと?」
「そうだよ。だから朝からずっとラナを探しまわってたんだ。今日中にちゃんと言えてよかったよ。一番乗りではなかったけどね」
ううん。一番だった。一番でしたよ、セリス様。
わたしはきゅっと腕の中のドレスを抱きしめた。セリス様が目の前にいるのに、なぜかとても切なかった。
わたしは、セリス様が好き。いままでずっとそうで、これからもやっぱりずっとそうだと思ってた。でも。
でも、もしかしたら。
セリス様ではない人と歩んでいるかもしれない未来をちらりと初めて思い描いた、16の誕生日。
わたしはほんの少し甘酸っぱい思いを抱いて、大人への階段を一つ上った。
- fin -
FE聖戦誕生祭12作目。やけにセリスがやんちゃ坊主っぽくなってしまいました。時期的にはシャナンと合流する少し前あたり、でしょうか。ユリアにやきもち、というのは父親がレヴィンのフィーでも書いてみたかったんだけれど、今回誕生祭の作品はレヴィン×ティルテュなので、ラナの役回りに。やんちゃなセリスと対照的にスカサハが大人です。個人的に妹持ちのお兄ちゃんはしっかりしてるイメージがあるのですよ。スカサハしかり、レスターしかり。一人っ子は甘えん坊に書く癖があります。無意識のなせる技なのですが。
2003年5月13日 凪沢 夕禾