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探しものはなんですか

「お父様と、待っていてね。帰ってくるから。あなたのお兄さんを連れて、きっと帰ってくるから」

その言葉を、ナンナはずっと忘れずにいる。忘れられずにいる。ただ一粒、母がこぼした涙の色と一緒に。


「ナンナ?君が…ナンナか…?」

壊れ物を見るような目で、あの人はわたしを見たっけ。

夕暮れの風を体に受けながら、ナンナは思い出す。体の震えが止まらないほどの屈辱と悔恨に襲われながら城を捨てた日のことを。

まだそれは、思い出になるほど遠い昔のことではない。そんな日もあったと穏やかな気持ちで振り返れるほど、過去のことではない。あの日負った傷はまだ癒えないまま…体のそれも、心のそれも。

必死の抵抗空しくレンスターの城を追われたあの日、ナンナたちを救ってくれたのは、セリスという少年の率いる軍だった。身も心もぼろぼろに傷ついた一行を、彼らはそれはもう暖かく迎えてくれた。けれど。

言葉もなく肩を震わせていた父の姿を、それにしがみつく様に、縋りつくようにして泣いていたリーフの姿を、ナンナは知っている。自分たちが安全圏に到達したからと言って、誰も笑ったりはできなかった。それなのに。

「会いたかったっ!」

満面の笑顔を浮かべて抱きついてきた、あの人。

「…おにい、さん」

言い馴れない単語を、ナンナはぎこちなく口にしてみた。小さなその声は、あっというまに風にさらわれる。

生き別れの、兄。母が探しに行った、人。

なぜ止めなかったのかと、父に聞いたことがある。そうしたら、寂しそうに笑って言った。ただ一言。

「愛していたから」

それは、お母様のこと?それとも…名前しか知らない、お兄様の、こと?

尋ねたかったけれど。父の微笑みは、それ以上の質問を許してはくれなかった。

兄。それは、リーフ様みたいな感じだろうか。ナンナはぼんやり考える。二つ年上の少年は、主君であると同時にナンナにとってかけがえのない存在だった。戦時下において家族同様に力をあわせて生きてきた。幼いうちは、同じ布団で眠ったりもした。優しい人。でも。

なんだか違う気がする。

と、ナンナは思う。

リーフといると、あたたかな気持ちになる。けれど同時に、とても不安になるのだ。この人がいなくなったらどうしよう、と。なにがあっても、たとえ自分が盾になっても守り抜かねば、と。そう言うと彼は困ったように笑うのだけど。

「参ったなぁ…。ナンナまでフィンのようにならなくたっていいんだよ」

そんなふうに苦笑されても、ナンナは首を傾げるしかない。お父様のように?是非そうなりたいものだ。父はナンナの誇りだから。

「ああ、こんなところにいた」

ぎぃっ、と重い扉の開く音がして、背後から声をかけられた。振り返らなくても分かる。明るい声。底抜けに。…腹立たしいほどに。

「食事、しないのか?まだ怪我だって完全によくなってないんだろ?たくさん食べて、早く元気にならなくちゃ」

ほら、と彼はナンナの腕を取る。

馴れ馴れしい。

思った瞬間、ナンナはその手をぱしりと払いのけていた。その音に、凍りついたように固まる、目の前の、人。

「食べたく、ないの。一人にしてください」

見つかりたくないから、わざわざ塔のてっぺんだなんて場所に来たのに。どうして見つけてしまうのか。恨めしい気持ちで、ナンナはつぶやいた。心の中。

あなたなんてだいきらい、と。

「…だめだよ。体力つけなくちゃ。レンスター奪回だって待っているんだし」

先ほどよりも幾分か声のトーンを落として、それでもしつこく彼が食い下がる。その言葉に、ナンナはいやいやとかぶりを振った。

「体のことなら心配いらないから、放っておいて。……あなたを見てると、いらいらする」

今度こそ確実に、彼…デルムッドが凍りついた。いらないことまで言ってしまったと唇を噛んだが、もう遅い。

「…どうして?」

かすれた声で向けられる問いかけに。ナンナはそっぽを向いた。どうしてこうも、彼は無神経なのだろうか。

「あなたのことを兄だなんて思ってない。あなたを探しに行ったりしなければ、お母様は命を落としたりしなかった。レンスターの危機だって、お母様がいれば……!」

言っても詮無いことだと、わかっている。けれど。思わずにいられないのだ、もし母がいれば、と。そうすれば少しは違う未来が開けたのではないか、と。

とても強く、美しい人だったと聞いている。別れた時の自分は幼すぎて、ほとんど記憶にないのだけれど。ただ、一つ。彼女のこぼした涙の色だけは、鮮やかに覚えている。

母のようになりたかった。強く、美しく。父に認められ、求められ、リーフにも慕われて。

けれども。いくら努力しても自分では及ばないのだ。届かない。守るつもりが守られて。そんなことが何度、あったことか。

「無理をすることはない、ナンナ。お前はお前らしく、そばにいてくれればそれでいいんだよ」

父は、優しい声でそう言うけれど。けれど、でも、自分は……!

「…ごめん」

それは、かすかなつぶやき。はっとして振り向いたときにはすでに、デルムッドの姿はそこになかった。やりきれない思いだけが、ただ残る。

「そんな言葉が、欲しいんじゃないのに…」

欄干に押し付けた腕の間から、嗚咽が漏れた。


明けて翌日。セリス率いる軍はレンスターへの総攻撃を開始した。ライブの杖を抱き、母の形見の大地の剣を握り締めて、ナンナも戦場を駆ける。

セリス軍優勢の中、ただ一人敵に追われ、劣勢を極めて。

功を焦ったわけではない、けれど気がついたら隊列から迷い出てしまっていた。一人、心細げに彷徨っているところを敵の一隊に見つかり、逃走劇が始まったのだ。味方陣営まで逃げ延びればなんとかなる、と自分に言い聞かせて必死に馬を駆ったが、敵勢との距離は縮まるばかり。放たれた弓矢が頬かすめ、脇をかすめていく。

お父様、お母様、リーフ様……!!

馬上に身を伏せ、馬を駆り続けながらナンナは祈った。どうか、どうか今一度あの人たちのもとへ、と。

「ナンナ!」

前方から力強い呼びかけが聞こえたのは、そのときのこと。はっとして前を見ると、リーフ率いる小隊がずらりと馬を並べていた。

最後の力を振り絞ってナンナが馬に鞭を当てるのと、リーフ隊の突撃がほぼ同時。すれ違う騎馬の群れの中に父の姿を、ついで兄の姿を見つけた。一瞥たりとくれずに槍を、剣をそれぞれ構え敵に向かっていく。戦う人の、姿。

ただ一騎、ナンナのそばに馬を寄せたのは、リーフだった。

「無事かっ?」

問いかけに、頷く。安堵感からかひどく疲労を感じて口をきくのも億劫だった。背後で興る喚声。あっという間の勝利だった。


ぱんっ。

乾いた音が響いた。赤くなった頬を抑え、ナンナはうつむく。わざと隊列を離れたわけではない。だが、そうであっても軍を乱したことに変わりはなかった。下手をすれば戦況を覆されたかもしれない事態を、自分は招いていたのだから。

だから、黙ってうつむく。けれど、なぜこの人に、という思いは消えない。よりによってなぜこの人にぶたれなければいけないのだろう。

今、ナンナの眼前にいて彼女をぶったのは、父でもなければリーフでもなく、兄のデルムッドだった。彼は戦いが終わって引き返してくるなり、つかつかと彼女に近寄って、あまり手加減したとは思われない平手をくれたのだ。そうしてそのまま、何も言わずに彼女を見ている。いったいいつまでそうしているつもりなのか、と顔を上げて。

ナンナは目を瞠った。

「どうし……」

デルムッドは、肩を震わせて泣いていた。顔をくしゃくしゃにして、涙していたのだ。驚きのあまり声を失ったナンナに、隣りに近づいた父が言った。

「あまり心配をかけるものではないよ、ナンナ。待っているほうの身にもなってごらん」

本当はわたしが手をあげるつもりだったのだが、と父は低く笑う。

「先を越されてしまった」

男の人がこんなふうに外聞も気にせずに泣くのを、ナンナは初めてみた。かっこ悪い、とは思わなかった。情けない、とも。その姿をいつかどこかで見たような、とてもよく知っているような、そんな気がして。それは、いつのことだったか。

ああ、そう。これは。幼い日の、自分の姿だ…。

母の帰りを待って。待って、待って、待って待って……けれども。彼女はいつまでも帰ってきてはくれなくて。幼いなりに不安に身を焦がした、あの日々。二度と会えない予感に胸が締めつけられた。

「やっと、会えたのに。やっと見つけた家族なのに…失うなんて、ごめんだ」

嗚咽混じりに、デルムッドが絞り出す。告白。

やっと見つけた家族。

その言葉に、ナンナははじめて彼の境遇を思った。母のぬくもりも、父のやさしさも知らずにたった一人で生きてきた、人。初めて会ったときの、あの弾けそうなほど嬉しげな笑顔の裏にあった孤独に、やっと思い当たった。

「待っていて」

そう言った母は、彼にそんな思いをさせたくなかったからこそ、旅立っていったに違いないのに…自分は、なんてことを言ったんだろう。言ってしまったんだろう。

戦いの最中においては一瞥もくれなかったほど、集中していた彼。戦いの厳しさも悲しさも、知っていてなお…それでも満面の笑顔で迎えずにいられぬほど、自分と出会えたことを喜んでくれた、彼。

「ごめんなさい」

気づけば素直にそんな言葉がこぼれていた。そっと手を伸ばして、自分より頭二つ近く高い場所にある頬に触れる。涙を拭った。そのナンナの瞳も、潤んでいる。

「ごめんなさい……お兄様」

お母様。

心の中で、ナンナは呼びかける。

見つけたわ、やっと。わたしたちの探しものを。


この戦が終わったら。行方知れずのままの母を共に探しに行こう…そんな約束を兄妹がかわすのは、もう少しだけ、先のこと。

- fin -


FE聖戦誕生祭第5弾にして初の子世代です。親はフィン×ラケシス。あー、カリスマ持ちっていうのをどこかに出したかったんだけれど、本人視点ではちょっと書きづらいものがありました。また、いずれどこかで。リーフは友情出演ですので、彼の話はまた別に書きます。

2003年2月25日 凪沢 夕禾