それでも君を愛してた
しとしとしとしと。
あれは、雨の日のこと。
「あなたのことが好きなんです」
短い言葉で伝えるのが精一杯だった。
柔らかな物腰と、優しい声と、常に向けられるいたわりのまなざしと。はじめに惹かれたのはどこだったか、もう覚えていない。
穏やかな時間と優しい日々を共に過ごして、共有して、気づけばその存在はかけがえのないもので。
抱きしめてもらえたら、どんなに安心するだろうと思った。どんなに幸せだろうと思った。
でも。
「わたしはあなたの気持ちを、受け取ることはできません」
あの、雨の日。
いつもと変わらぬ優しい声で、彼は言ったのだった。
「あたし、結婚するんです」
それは、冬も終わりにさしかかった、ある日。長く続いた雪もやみ、久しぶりに青空が空をのぞかせた日のことだった。
部屋で物思いに沈んでいたクロードを散歩に呼び出したシルヴィアが、不意打ちのようにそんな報告をした。
「それは…おめでとうございます」
優しい金色の長い髪をふわりと風になびかせて、クロードは微笑む。いつもと同じ、優しい顔。変わらぬ、態度。
そんな彼に、シルヴィアは少しだけ寂しげな顔を向けた。
「きっと…クロード様はそうおっしゃるだろうって、思ってました」
ゆったりとした歩調で歩むクロードの数歩先を、軽い足取りで進んでゆく少女。惜しむことなく肌を露出した踊り子の衣裳ではあまりに寒すぎるゆえ、さすがに外に出るときは外套を羽織るものの、すらりとした足は隠されることがなく、跳ねるように弾むようにリズムを刻む。
「あのね…クロード様。あたし、あなたに言わなければいけないことがあるんです」
踊るような歩みを止めてシルヴィアが金髪の青年を振り返ったのは、村の教会の前。
「はい…なんでしょう?」
応える声を背に聞きながら、彼女は教会の中へと滑り込む。
礼拝のない日の教会は、静かなものだ。ちょうど祈りを捧げに来る人も途絶えたところなのか、ほかに人影はなかった。シルヴィアの後に続いて入ってくるクロードと、ただふたり。
青年の方を振り返ることはせず、シルヴィアは天井の壁画を見上げた。貧しい村の貧しい教会ではあったが、質素ながら見事な絵が描かれている。
「ねぇ、クロード様。……ずっと、ご存知だったんですか?」
天井を見上げたまま。シルヴィアが問い掛けた。クロードはわずかに目を瞠り、首を傾げる。
「なにを…ですか?」
静かな教会の中。さして大きな声を出しているわけでもないのに、お互いの声がよく聞こえる。よく、響く。
シルヴィアは天井を見上げるのをやめて、クロードを見た。まっすぐに。ひたと視線を向けて。
「わたしとあなたが兄妹だということ」
今度こそクロードは瞠目した。言葉を失う。まっすぐな視線を、ただ見返した。
「生まれてすぐにさらわれてしまった妹がいると…そう話してくださったことがありましたよね。ずっと、気にかかっていたんです。…でも、あたしは。…あなたが好きだったから、そうじゃないと思い込もうとしてた…」
彼女の言葉の途中で、クロードは横を向いた。逃げるように、彼らしくもなく。穏やかな表情は消えて、ただ淡いかげりがその面に浮かんでいる。
その横顔へ向けて、シルヴィアは続けた。
「あなたが大事にしているその指輪。あたしが持っているこの腕輪。…細工が同じなことに、さといあなたが気づかないわけない…」
素朴な衣服を好み、装飾物をつけないクロードが唯一、大切に着けている指輪。暗赤色の石を嵌め込み、細かな細工の施されたそれと。
シルヴィアがいつも上腕部に着けている、腕輪。やはり同じ暗赤色の石と細工のそれ。
形状が違うために気づきにくいとはいえ、少し気をつけてみれば同じ職人の手によるものであることは明らかな、二つの品。揃いの、品。
「この腕輪はあたしが唯一親から受け継いだ、形あるもの。あたしを育てた親方は、すぐにムチを振り回すようなひどい人だったけれど、これだけはちゃんと渡してくれた…」
腕の代物に大事そうに触れ、シルヴィアは言う。その視線から、その言葉から逃れるようにクロードはさらに顔をそむけた。
「知って、いたんでしょう?クロード様。あなたは…あたしが妹だと、知って…」
「知っていました」
抑えた声で返る、答え。ああ、とシルヴィアは思う。やはり、と。
やはり彼は知っていたのだ。だから…だから、あの雨の日。彼は、応えてくれなかったのだろうか。自分が実の妹だから。
だから、異性として見られなかった…?
「知っていたなら、なぜ教えてくれなかったんですか…?」
もしそうなら。そうだと言われていれば。
彼を諦めることは、もっと容易だったかもしれないのに───。
彼を想うことをやめるのに費やした時間と痛みを思い出し、シルヴィアの口調はつい、非難がましいものになる。責めて、しまう。
金髪が、揺れる。揺れて、シルヴィアの顔を見た。ひた、と。まっすぐに。シルヴィアと同じほど真摯に。
「それでも君を愛してた」
一瞬。何を言われたのかわからなかった。愛……?
硬直し、立ち尽くす彼女の前で、クロードは一つ、ため息を落とす。
「妹だと知って…それでも想いを断ち切れなかった。…だから、わたしはあの日…あなたを拒んだんです」
あの日。不自然なほど表情を変えなかった彼の本心は、それだったというのか。同じ想いを抱きながら、なのにあえて抑えこんだと。
「どうして…!」
思わず叫んだシルヴィアに、クロードは悲しい笑顔で答える。
「あなたに罪の道を歩ませたくありませんでしたから」
もしもあの時クロードがシルヴィアを受け入れていれば、もう止まることはできなかっただろう。もしあとでシルヴィアが真実を知り、どれだけの後悔をしたとしても。
そうならぬように。そうならぬために。
クロードは自分を律した。制した。
「一時的にあなたを傷つけても……きっとあなたなら、立ち直ってくれると思いました。きっと、大丈夫だと。そうしていつか、わたしではない誰か、堂々と胸を張って愛せる人ができたら、…そのときこそ名乗りをあげようと」
向けられる微笑に、シルヴィアの大きな瞳からぽろりぽろりと涙がこぼれる。そんなこと。そんな風に愛されていたなんて。
拒まれたことが悲しくて、胸が痛くて苦しくて。自分だけが辛いのだと思っていた。信じていたのに裏切られたと、そんな勝手なことまで思ったのに。
「どうして…そんな…」
どうしてそこまでしてくれるのか。
流れ出る涙を止められぬまま、つぶやいたら。
彼は、ふわりと笑うのだ。
「わたしはあなたの、兄ですから」
ひとしきり泣いて。
気づけば、すでに外は暗くて。
「そろそろ戻らねば皆が心配しましょう……アレクも」
ぽんぽん、とシルヴィアの頭を軽く叩いて、クロードが言う。
「クロード様っ?知って…?」
結婚相手のことなど、一言も言わなかったのに、なぜ。
驚いていると、彼はくすくすと笑った。
「あなたと彼はよく似ている。とても、素直な方々だから。隠し事など、無理ですよ」
ぱっと顔を赤らめるシルヴィアを楽しそうに見て、笑う。そんな笑顔が嬉しくて、シルヴィアも笑顔になった。
「兄さん」
言い慣れない言葉を口の中で転がして。不思議そうにこちらをみるクロードに、慌ててかぶりを振る。今は、まだ。自然になんて呼べないけれど、いつか。
「…いつか、男の子が生まれたら。クロード様みたいに育つといいなぁ…。ね、そしたら、名づけ親になってくれますか?」
まだ遥か遠い未来を夢見て、ふたり、寄り添いながら星空の下に出て行く。
「そんなことをしたら、アレクが拗ねてしまいませんか…?」
くすくす、くすくす。
遠くなり、近くなり。笑い声が重なる。
恋してはいけない。それでも君を、愛している。
- fin -
クロードとシルヴィア、本当の兄妹編。シルヴィア×アレクですが、アレクは今回名前だけ。
クロードの葛藤を彼の視点から書いてみようかとも思ったのだけれど、あまりに暗く引きずりそうだったので、さらりと。あくまでさらりと。
シルヴィアの息子コープルがプリーストだったりそこはかとなくクロードに似ていたりする伏線も、ここに(笑)。
2003年2月11日 凪沢 夕禾