夢の終わり
「本当に、いいのか?」
優しい声で、けれど心配気に尋ねる青年に、彼女はこくりとうなずいた。思いつめた表情で、けれど躊躇はなく。瞳は、決然としていて。
「なにもかも、捨てることになる。裏切り者と後ろ指を指されることも、あるかもしれない。…俺は、君の望むような男ではないかもしれない。…それでも?」
「わたしが、自分で決めたんです」
小さな声が、けれど凛として告げる。瞳の力の強さはそのままに、青年をひたと見返した。
「選んだんです。あなたを…そして、自分の行く道を。その意味は…わかっている、つもりです」
閉ざされた森を抜け、外へ出て、そうして運命の人に巡り逢う。それは幾度も夢見た未来。誰に教えられるでもなく、それが現実の未来となることは、知っていた。そこにどんな意味があるのか、さらにその果てにどんな未来があるのか、そこまではわからなかったけれど。
夢見たのは、それが誰かに押し付けられたものだからではなく、ただひたすらに呼んでいたからだと、そう思う。彼の存在を知らぬ頃から、それでもきっと魂が呼んでいた。彼の魂の輝きに気づいて、惹かれて。
出逢うべくして、出逢った。
一目で彼だとわかった。その蒼い瞳にとらわれた一瞬を、自分は忘れないだろう。そのまま吸い込まれてしまいそうだった。手を差し伸べられたらその腕の中に飛び込んでしまいそうなほどに、強い引力を感じた。
けれど呼び止める声を振り切ってその場を去ったのは。
こうして、彼と出逢って。心の震えを、さざなみのように全身を駆け巡るこの震えを感じて、不安など感じようもない。ただ、一つを除いては。
それは、彼と出逢うのと同じほど確かなものとして知っている、不吉な未来。黒い影。
それがどんな形を為すものなのか、いつ襲いくるものなのか…それは、わからない。彼のことほどに、それは自分に明らかにされていない。けれど。
自分の心のままに彼のもとに飛び込めば、確実にその影はついてくる。彼のもとへ。自分が引き寄せる。それが怖かったから…逃げた。
"この人だ"と感じたのと同時に、脳裏に鳴り響いた警鐘。"だから、知ってしまってはいけない"。
だから、逃げた。逃げて、忘れようとした。出逢わなかったことにしようと、した。あの人は夢の人。ずっと待って待って…待ちつづけて、けれど、夢のままでなければいけない、人。
なのに。
忘れようとすればするほどその姿は脳裏に鮮やかで、無かったことにしようと願えば願うほど、想いは強くなるだけで。
恋焦がれる気持ちとはこんなにもどうしようもないのか、と思いながら涙した、矢先。
彼が、呼んだのだ。呼ぶ声が、聞こえたのだ。確かに。
名も告げず去った少女を、彼は呼んでいた。探していた。求めていた。……自分のことだと、わかってしまった。
切ない願いが、心に届く。森の木々の遥か上、せめぐ梢に邪魔されてわずかしか届かない星の光と同じほど、か細く。
「ディアドラ────」
誰が、名前を教えたの。
いっそ恨めしいほどの気持ちで、唸った。うめいた。鼓動が、止まらない。心臓のそれではなく、もっと奥深くで脈打つもの。
あの人への想い。
呼ぶ声に、呪縛された。逃れられない運命に絡め取られたことを、悟った。あの人のもとでなくては生きていけない。
ならば。
「あなたのそばにいさせてください…そうして、あなたを守らせて」
この身の限り、彼を守ろう。自らの力の及ぶ限りまで…いや、それ以上までも。引き寄せた闇は、自分で払う。
彼は、知らない。知らないままでいい。ただ、そばにいてくれれば、それが力になるから。
視線が絡み合う。腕が差し伸べられる。この瞬間をどれほど望んできたことだろう。ずっと夢見てきた未来。それが現実になろうとしている。
「おいで、ディアドラ」
白馬の上から伸ばされたその手に、彼女は細い手を重ねた。
それが、夢の終わり───そして、すべての始まり。
- fin -
誕生祭参加作品一発目、ということで。主人公はディアドラです。名前すら出てこないけれども、相手役はもちろんシグルドです。
わたしの中でディアドラという人は、未来を知っている人、というイメージがあるのです。といっても、なにもかも詳細までというわけではなくて、こんなふうになるんじゃないか、こんなことが起こるんじゃないか、という推測にも似たものだから、本人も漠然とした不安にしか感じられないのだけど。けれど時折その力が強く働く要素もあって、それが今回書いたこんなようなことだったり。
運命の出会いから始まって運命に翻弄されつづけた彼女なので、わざとそこから外したお話ってのも考えたのだけれど、あえてわざとその部分を色濃くしてみました。内容的には一人称なのだけど、三人称のほうが締まる感じがするので、三人称です。
さて残り……いっぱい。がんばらねば〜。
2003年2月9日 凪沢 夕禾