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Essay

母という人

わたしには、大切な人が、たくさんいる。

一番身近で、一番大事にしたい人。それって、やっぱり旦那様。

わたしをよく知る人には、いまさら言うまでもないことかもしれないんだけれど。だけど、大切なのは彼一人じゃない。

楽しいときを共に過ごした友人や。

今までずっと一緒にいた、血の繋がった家族。

父と母と弟と妹。

みんな、大切。

わたしが家を出たのは、十九の時。高校卒業後半年で、一人暮しをはじめた。家を出るのは、ずっと前から決めていたこと。それこそ、小学生の頃からね。

家族は好きだったけれど、居心地のいい家ではなかった。わたしという人格が気持ち良く伸びをできるような場所では、なかった。

両親には信じる道があって。

わたしも、同じ道を信じるように望まれて───それが当然のこととして育って。だから、両親に背くことはとてもとても悪いことだと思ってきた。

親不孝はしたくないと思う気持ちと……けれど、罪悪感は別のもの。人には、前にたくさんの道がある。どれを選び取るのも自由だ。わたしの前にもたくさんの道があった。何を見、何を聞き、誰と話し、誰と親しくなり、誰を愛しても───それは、わたしの自由のはずだ。そうじゃないかな?

けれどわたしの前に置かれた道は、とてもとても狭くて、多くの可能性を排除して残ったものでしかなかった。廃されたほかの道に強く強く憧れるわたしは、けれどそれでもNOとは言えず、受け入れて、自分をごまかしながら、いつかはきっと慣れるだろうと、半ば諦め半分に考えていたけれど。

───それが、高校一年までの話。

高校一年の終わりに、父が亡くなった。この出来事は、わたしの人生、最初の転機といえるものかもしれない、と思う。それまで、わたしは家族が大切だなんて、考えたこともなかったのだ。

家族は枷であり檻であり、一緒にいると息が詰まるもの。

そばにいればイライラするし、なのに顔色をうかがわねばならないもの。

弟や妹もそうであったかと言われると、そうでもなかった……ように思うけれど、息苦しさの方が大きくて、よく覚えていない。面倒見がよくて、いいお姉ちゃんね、と言われるのはままあることだったけれど。小学校の頃からすでに一人立ちすることを考えていたのは、住んでいた家が狭かったから、というのが一番大きい理由だったけれど、それだけじゃない。

一緒にいたくなかったのだ。

わたしは、自由になりたかった。なんでも自分で選んで、自分で決めたかった。それが許される環境に、身を置きたかった。

けれど、父がいなくなって。

わたしの心にはぽっかり穴が開いた。思いもかけず、そのことを実感した。

……わたし、お父さんが好きだったのかな?

通夜の夜、棺の横で一人、考えた。父の顔を眺めて、一人で泣いた。

お父さんのこと、好きだったんだな。

母に言わせれば、そんなことはいまさらだったらしいけれど。

反抗ばっかりしていた。なんとか自由になりたくて、じたばたもがいて……それが反抗という形になって。思えばあの頃、親孝行なことなんて、何もしてない。わたしは父に、孝行なんて一つもしてない。それが、とても重く心にのしかかっている。

だから、なのかな。

父の死後、父の目がないのをいいことに自由に振る舞いはじめたものの、母のことが気にかかって気にかかってしょうがなくなったのは。父にできなかった分までも……なんて、意識してるわけではないんだけれど。

家族に甘い、とよく言われるようになったのは、この頃から。

それまでできなかったいろんなことをし始めたのも、この頃から。

母を侮っていたわけじゃない。だから自由にしはじめたわけじゃないけれど。枷が緩んだのは、確かなことだった。

母の思いは変わらない。自分たちと同じ道を、わたしにも。

彼女はそう願ってやまなかった。その願いを、わたしは痛いほどに知っている。それでも……わたしは選んだ。違う道を。選んで、歩み出した。

そのことに後悔はない。そう、かけらも。

時々、あのまま母のもとで歩んでいれば、まるで違う人生になっていたかも……と思いをはせることはある。でもそれは、後悔じゃない。

でも、後悔しないことで、さらに母に対する罪悪感とも言える感情が高まってしまうのは、確かなこと。

ごめんなさい。

そんな言葉で彼女が癒されるわけではないのだけれど。

ありがとう。

それだけで、全てを伝えられるわけもないのだけれど。

自分から離れていった娘を、それでも気遣ってくれる母。

わたしが自分で選び出したときから、わたしと母の関係は少し変わった。母娘というよりは、友達に、少し近づいてしまった、のかもしれない。

それでも、母がわたしを思ってくれることは変わらず、わたしが母を思うことも変わらず、ただ、口にする内容が多少変わって。

もっともっと遠くなってしまうかもしれない、という恐怖があったから、わたしはとても嬉しくて。

以前とは違う。確実に違うものがある。

だけど、大切な人だ。

今は遠く離れているからか、たまに素直な言葉も出たりして。

たくさん傷つけた。たくさん、泣かせた。

けれど、伝わるといい。

あなたが嫌いだから、違う道を選んだわけじゃない。

あなたから離れたくて、違う道を選んだわけじゃない。

あなたが生んでくれたことを、とても感謝してる。

4月25日───それは、わたしが生まれた日じゃないの。

あなたが、わたしを生んでくれた日。

違う道を歩み、違うものを愛し、違うものを信じる。

けれど、これは変わらない。忘れないで。

大好きだよ、お母さん。

お父さんが大好き───あの日わかったのは、それだけじゃない。

(2001/05/13)