Essay
さよならじゃないよ、またねだよ。
11月3日。
この日にわたしはお引越しをした。生まれた街、京都を離れ、横浜へ。
生まれてから22年と半年、わたしは京都以外の土地を知らない。ずっと京都に住んでたし、旅行という旅行に出かけたこともなかったし。いつかは京都以外の土地に住んでみたいなぁという思いはずっとあったけど、だからって京都が嫌いだったわけじゃない。
住み慣れたっていう愛着はもちろんあったし、土地以外に執着させるものもあったしね。家族とか友達。お気に入りのお店。生まれた家。見なれた風景。今の「わたし」というものを作り上げているすべて。
それらはなんらかの形で「京都」という場所に根ざしている。だってわたしはずっとここで生きてきた。楽しかったことも悲しかったことも……思い出のほとんどすべての舞台がここ。
だけど、わたしはお引越しをした。全然知らないよその土地……まかり間違うと二時間も迷った挙句に、交番にかけこんで道を聞かなきゃならない、そんな場所へ。
横浜に来たのは、高校三年の終わりに、卒業旅行で一度だけ。そのときに泊まったホテルが、今住んでいる家から徒歩5分のところだった……ということに気づいて、あとで笑ったりもしたけれどね。
なんだか不思議な縁を感じてみたり。その当時、まさかこちらに引っ越すだなんてまるで思いもしなかったのだけれど。
京都に……否、京都に残してきたものに対する執着がなくなったから引っ越した…………なんてわけはなく。いまも京都にいる家族や友達が大好きだし、機会が許す限り訪れたいとは思っているけれど。
だけどわたしは横浜にいる。役所への手続きも終えて、正式に横浜市民になった。京都に感じるよりももっと強い、そんな執着があるから。
知らない街、だけど自分の住んでいる街を、地図を片手にふらふら歩く。なんだか不思議な気がする。家に帰る道しか知らない。それすらも、ともすればわからなくなる。だけど、楽しい。
これから知っていく街。
知り合いはほとんど皆無と言ってもいい。今までのような甘えはきかない。甘えられる人がいないっていうわけじゃない。だけど、今まで幾人にも分散して向けられてきた甘えが全部向かってしまったら、その人だってしんどいでしょう?
もしかしたら引っ越すかも?って考えが初めて頭をよぎったとき、真っ先に思ったのはそのことだった。わたしの感情が向かう先。たった一人にそれを背負わせていいものだろうか?
自分の知り合いがいないとか、知らない街で暮らすこととか、そんなことは別に気にならなかった。わたしは好き嫌いがとてもはっきりしている。一度気を許した相手にはとことん甘くなる傾向があることは自分でも分かっている。それはつまり、自分もまたその相手にはひたすら甘えてしまう傾向があるということでもある。
もともと人付き合いの広い方ではない。けれど、ずっと生まれ育ってきた場所には、知らぬ土地よりも多くの心のよりどころがあるのは当然のこと。
それが一つになる。生の感情を向けるところが一つになる。
相手のことを信じていても、それはとても怖いこと。
自分の感情を表に出すのは得意じゃない。出しているつもりで、実は伝わってないってこと、今までにたくさん。多分、これからもたくさん。
一つ一つは大したことじゃなくても、それが積もり積もっていつか大きな爆弾に育ってしまったりしないだろうか。すれ違いが重なって、たった一つのよりどころまでも失ってしまうことにならないだろうか。
もしもそうなったとき、わたしはどうしたらいいんだろう。
考えなかったわけじゃない。不安にならなかったわけじゃない。
なんにも考えずに、あっさり簡単に決めてしまったように言った人もいるけれど、そんなわけはないじゃない?
後悔しないの?
そう聞いた人もいた。
しないかどうかなんて、今はわからない。多分、することもあるだろうね。だけど、まだしてもいない後悔に尻ごみするのも馬鹿らしい話。確かなのは、今、ここにわたしを受け入れてくれる場所があるということ。そして、わたしがその場所にとても強い執着を感じているということ。
だから、決めた。
京都を離れて横浜に来るって、親や友達にそのことを伝えたのはなにもかも決めた後だった。驚かせたと思う。だけど、ちゃんと送り出してくれた。
ありがたいな、嬉しいな。
会いたいと思ってすぐに会える距離じゃなくなる。顔の見えないやりとりなら、いつでもできても。だけど……。
「さよならじゃないよ、またねだよ」
これは、ある友達がくれた言葉。なんだか、しみじみとありがたかった。
いつでも帰ってこれると思うんじゃないよ、と送り出してくれた母も。
別れ際、涙を見せてくれた友達も。
引越しが決まってから至極頻繁に顔を見せにきてくれた友達も。
引越しの当日、忙しい中見送りに来てくれた優しい人たちも。
みんなみんな、ありがとう。
今までとは違う。
だけどね。
───さよならじゃないよ、またねだよ。
また、会おうね。
(2000/12/19)