Essay
ウェブで書くということ
わたしは、物語を書くのが好きである。と、同時に、わたしは、文章を書くのが好きである。
ちなみに、文書、ではない。文章である。
事実のみ要点のみを述べたアナウンス的なものでなくて、そこに心や想いの宿るものを書くことが好きなのだ。そしてたとえばその例が小説であったり詩であったりするんである。
ウェブという場で公開し、人を見せることを意識する以上、書くという作業には多少気を回すことが必要になってくる。自分の思うまま、望むままの表現は時としてできない。
なぜかというと、そんなことをしたら他人の心にはなんの意味もない、ただの単語の羅列になってしまう恐れがあるから。
だからそこは客観的になって、自分の内にあるものをできる限り伝えられる言葉をつむごうと努力する。
そしてさらに。
公開する場所がウェブであるということは、さらなる気遣いが必要になってくるんである。
なにかといえばそれは、小説を読んでもらうための下地までも用意しなければならないということ。中身だけ作っても、それは誰にも見てもらえない。ブラウザの認識できる言語で書き、サーバにアップロードしてはじめて、「読んでください」と言う準備ができたことになる。
つまり、小説+HTML が必要なんである。
ところで今から3年ほど前、ちょうどパソコンを買ったばかりの頃のわたしは、はっきりいってど素人であった。
HTML?なんですかそれは。な、世界の住人であったのだ。
パソコンを購入して2ヵ月ほど経ったころ、友人に作れ作れとせっつかれ、よくある「60秒でホームページが作れます」というシステムを利用して最初のサイトを立ち上げた。タグとやらいうものもわからず、FTPもわからず、ネットで物を調べることもままならず、人のソースを見たってなにがなんだかわからない、そんなレベルである。
あちこちのお勉強サイトを駆け巡り、見よう見真似で作り上げていった。
確か文字が流れたり点滅したり、壁紙がアニメーションだったりいきなりBGMが流れたり…一部の人にはとっても嫌われる作りだったなぁと懐かしく思い出す。今のわたしが大嫌いなサイトの典型である(笑)。
そういう手法を好む人をけなすわけでも嫌うわけでもないが、快適ではないな、と思うこの頃。(けれどもそのあたりは今回のテーマから脱線する場所にあるので、語らずにおいておく。)
ちなみにスタイルシートは食わず嫌いで放置した。
"決まりごとだの文法だのはどーでもよろしい。要はブラウザでちゃんと見えればいいんである。"
というのが当初のわたしの持論であった。
ところで、人の気持ちに変化が起こる時というのはどんな時なのだろう。そう、例えば「見えればよろしい」と断言していた人間が、「正しくマークアップされた文章を」などと思うようになる時というのは。
「< div >
は右寄せとかするためのタグだよね?」
今のわたしならそんなことを堂々と言われたら脱力する。一般の人ならともかく、同じ職場の人間に言われたら激しく呆れる。けれどもこれは実話である。
要は、その程度の認識の人間がとても多いということだ。インターネットがこれほどに普及し、個人レベルでのサイト運営もこれほどに多いというのに、一応「プロ」なはずの人間の口からこんな言葉が出る。
「netscape4.xに対応するためにテーブルレイアウトを使うのは仕方がない。」
これは業界の暗黙の了解なのだろうか。技がないと言い切るには自分の技量も及ばないのだけれど。けれど以前ならばそんなことに関心すら持たず、一通りのタグを覚えて満足し、そこで終わっていただろう。
そうならなかった理由は。
HTMLも一つの文章なのだと解釈したことがすべての発端だった。それまでは単に小説という中身を入れるだけの受け皿にすぎなかったのである。が。
受け皿次第で中身の見え方も変わるのだ。
ましてや、文章を書くことが好きである、しかも正しく書かれた言葉が好きであると豪語するくせに、正しいマークアップもできないとは何事か。
人に読ませることを意識していると胸を張るなら、器にもちゃんと気を配るべきではないのか。
ある時ふとそう思ったのだ。
人に伝わる文章を書きたい。秘めたものならいざ知らず、公開するからには。
だったらとことん細部までこだわるべきじゃないんだろうか。
せっかく料理が会心の出来でも、ひびの入った器では、それを受け入れることはできないのだから。
そうしてそこから、いわゆる「STRICT」を目指すきっかけが生まれたのである。とはいえまだまだ勉強中だし、勉強不足であるのだが。
もちろん、上記のような真面目な理由のほかに、単に " HTMLを書いていると幸せ " な自分が生まれたから、ということも確かなのだが(笑)。でなければ今、それを仕事にしているわけもないし、そこに楽しさを感じることもなかっただろう。
けれどそれでも一番大きいのは、「ちゃんとした文章」を書いていたいというこだわりなのだ。
STRICT、というと、なにかいろいろなイメージが飛びかいそうだが、わたしの場合はそうなんである。XHTMLで書くというと、さらにいろいろなイメージがありそうだが、それでもやっぱり根底はそうなんである。レイアウトはCSSで……なんていうと、さらにさらに……なことも、さもありなん。実際、職場ではそんなところにこだわると白い目で見られる。どーよと思うがそれが現実。
けれど、だがしかし。
かっこつけでも優越感でも知ったかぶりでもなく。
自分が勉強中の身である事も、まだまだわからないことだらけなことも踏まえた上での道のりなのだ。ちなみに付記しておくと、エラーのないものを書き上げたときのさっぱり感がたまらないというのもあるらしい、個人的に(笑)。
人が書くという行動をとるとき、そこには必ず意味があると思う。
それが強制的なものであれ、自発的なものであれ。
そうしてそこに " こだわり " が生まれたら、可能性はぐんと広がって、楽しさも広がるのだよ、ね。
(2002/05/15)