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Essay

そしてわたしは貴方と出逢う

わたしの好きな言葉の一つに「縁(えにし)」という言葉がある。

「えん」ではなくて「えにし」。

読みが違うだけじゃないか、と思われる方もいらっしゃるだろう。けれど、わたしの個人的感覚では両者では明らかにニュアンスが違う。

ちなみに辞書で調べてみたところによれば、「えにし」とは「えん」から転じて「えに」+「し(強めの助詞)」となった言葉だそうな。

で、わたしの中ではどう解釈しているかというと「えん」という言葉にはどうしても仏教的なにおいがして好きじゃないのだ。「えにし」となるとそのにおいの変わりに、なにか不思議なものを感じるのだけど。我ながら不可思議だが、そうなのだ。

この言葉は「つながり」を表わすのだけど、わたしが定義するとしたら「そこに不思議な誘引力を感じる(つながり)」とでもなるのだろうか。

いわゆる超自然的なことなどと言うつもりは全然ないけれど、なんだか「ふしぎだよね〜」と思ってしまうような、出逢い。それを「えにし」とわたしは呼んでいる。他の人とは違うかも、しれないけれど。それはたとえば。

もしかしたら出逢うことなど一生なかったかもしれない人との出逢い、だとか。

自分が住むことになるであろう街に、知らず旅行で訪れていたこと、だとか。

それから。

中学時代に書いた小説の主人公の名前が、旦那様の名前によく似ている……だとか、ね。

それは、まだ旦那様の存在なんてものをまるで知りもしなかった頃の話で。よもや自分が若くして結婚するだろうなんて思いもよらなかった頃の話であったりもして。

結婚してからその小説をリメイクして書きなおしているときに、「似てるな?」って思った。主人公の名前とその友人の名前を足してニで割ると、思いきり本人の名前だな、なんて。

ところが。

先日、旦那様のご両親と話していたときにさらにびっくりしたことがある。実は旦那様の名前、最初は違うものにしようと思っていた、とのことだったんだけれど、その名前、というのが。主人公の名前、そのまんま、だったんだよね。漢字まで同じ。

夢なく言えば「偶然」とその一言で片付いてしまうんだけれど、なにかね「ふしぎだね〜」と思ったのだ。

思えば。

旦那様との出逢いには、そんな「縁」をたくさん感じたな、なんて思う今日この頃。もちろんわたしが感じるそれは、一人に対してに限ったことじゃないんだけれど、今日は特別な日だから、たった一人に限定して語ってみようと思う。

彼は。

もしかしたら一生出逢うことがなかったかもしれない人、だった。

まず、住んでいる場所が全然違う。わたしは京都で、彼は東京だった。

それに、彼と出逢ったその日、わたしは本当はその場にいないはずだった。

別の用事で別の場所にいくことに、なっていたのだ。それが急にキャンセルになり……そうして、わたしは彼と出逢った。けれどそれでも、彼は遠いところにいる人で、きっと二度と逢うことのない人だと思っていた。

振りかえると、本当に不思議な気持ちになる。

なにか一つでも掛け違っていれば、彼と出逢うことはなかったし、そうしたらわたしの歩む道はまるで変わっていたに違いないからだ。

あの時先約がキャンセルにならなければ……。そのたった一つのことで、未来は大きく変わった。

そこにわたしは「縁」を感じるのだ。

深く考えて行くとだんだん頭の中がごちゃごちゃになっていくのだけれど。

たとえば自分がここに存在する確率というのは、どれほど小さなものなのか、とか。

人類の歴史の中のこの時代に、地球という広い星の中の日本という国、さらに絞って京都という場所に自分が生まれたこと。

ざっとあげるまでもなくこれだけでも相当に数字は小さくなるのに、さかのぼれば自分の祖先が皆、同じ確率を通ってきてるわけで、その上にさらに自分の存在があるのだから、「もしも〜」なんてことを考え出したらキリがない。

そして、そんな中での出逢いはさらに奇跡のようなもので。

わたしはすぐに「もしも〜だったら」だの「たとえば〜なら」なんてことを考える性質だからなおさらなのかもしれないけれど、そんな奇跡のような偶然のような現実に、時に戸惑う。

これは夢ではないんだよね?なんて。

自分の望んだ結果であればこそ、その過程に半信半疑になってしまったりするのだ。どこかで一つ間違えばこうならなかった、と。

けれどそれはあくまでも、「今」という現実に満足し充実しているからの話で。

後悔だらけだったりしたら、きっと「縁」なんてものを感じることはないのだろうと思う。

そう。「縁」だの「奇跡」だの。

そんな言葉は、努力があって初めて生まれるもの。

自分がなにもせずにいれば、たとえ向こうから幸運が足元に転がってきたとしても、気づきすらしないかもしれない。そうなればそこに「奇跡」だなんてものが生まれる余地もないのだ。

自分のアンテナがどれだけ敏感か。そこにすべての可能性がある。

けれど、どうしても自分が関われない領域は確かにあって。

それが、生と死。

いくら自分が望んでも、彼が生まれていなければ、どう転んでも出逢うことはなかった。そう思うと、これはあるいは傲慢なのかもしれないけれど、彼のご両親に感謝の気持ちで一杯になる。

ちょうどニ十数年前のこの日に彼がこの世に生を受けたこと。

そのことに、感謝を。

わたしはその時まだ生まれてはいなかったけれど……それでも、同じ時代に生きるべく、生まれてきた。

そうしてわたしは、貴方と出逢う。

いくつもの可能性の中からその道を知らずとはいえ選び取って、出逢った。

そして今ここに共にあるのは、知らずではなくして自ら望んだ未来。

全然違う土地、全然違う環境で育った二人が、一つ屋根の下で暮らし始めたのも、ちょうど一年前のこの日。

この日という日がわたしにとってどれだけ大きな意味を持つのかを、きっと彼は知らない。

けれど、願わくば。

彼にとってもこの出逢いが、たとえ言葉は違えども、「縁」と同じだけの重さがあるように……

(2001/11/03)